あなたが創りたい世界とはなんですか。あなたの生き方とはなんですか。
こんな問いを目の前にした時。教育が好きな僕は「こんな教育を作りたい」「こんな教育の課題を解決したい」というけれど、こんな時に教育を「主語」としてしまうことに対して、苦しさを覚え始めたのはいつからだろう。
教育は手段なのに、目的ではないのに。教育を頂点として自分のやりたいことを話しているような感覚が、だんだん苦しくなってきた。
「教育」を主語として、問いを目の前にした時はこんな世界を作りたい、こんな生き方をしたいとはきはき喋るけど。
「自分」はどんな世界を作りたくて、どんな生き方をしたいの?教育のその先に、どんな世界を、生き方を作りたいの?と問われると、息がつまってしまうようになっていた。
「自分が」創りたい世界って何?全うしたい生き方って何?教育を主語とせず、自分に立ち返って考えてみる。
教育を主語として自分を語るほど、教育が好きになったのは教育という分野に生きている大人に惚れたから。そして、教育で広がる「生き方」にとてつもなくワクワクしたから。教育に携われば、この大人たちみたいに生き方を広げられて、もっともっと面白い世界を観れるかもしれない。「だったら僕は、そんな世界と、生き方と出会いたい!」そう思ったのが、僕の始まりだった。
僕はこの時からずっと「生き方」に関心があった。教育に生きる大人の生き方に惚れた、自分が知らない生き方を知りたかった、自分が最高にワクワクできる生き方に出会いたかった。だから教育を志したし、教育者として学び続けた。
いつの間にか、「自分」ではなく「教育」を主語として生きていたけど。自分の本当は「生き方」にある。生き方に出会うために、僕は教育を始めたんだよ。
教育のその先に、僕が創りたい生き方は「生きているだけでかっこいい」が本当になる生き方。
僕が教育で見てきたのは、今ここにいる自分の生き方を、エネルギーを未来に予約する生き方。日常のエネルギーを、日常のためではなく非日常のために使う生き方。未来や非日常にエネルギーを予約する生き方も、確かにあっていい。
ただ、少なくとも僕は、勉強や仕事といった日常や、今ここにいる自分のために、エネルギーをもっと使ってあげたいし、それらの今ここにある日常をもっと面白く、カッコよく、素敵なものにしたい。
未来や非日常が訪れる日まで「生きていることを前提に」日常を消費しがちだけど、僕らが目を向けるべきはそれら未来や非日常ではなく、日常だと思う。
勉強に、仕事をはじめ。ご飯を食べること、眠ること、道端に街路樹が聳え立っていることも。
消費してしまいがちな日常に、僕は目を向けたいし、そんな日常をもっと面白く、カッコよく、素敵なものにしたい。
日々を生きているだけで、素敵な人、日々を生きているだけで面白い人。日々を生きているだけで、カッコいい人。そんな人になれるなら、僕は迷わず未来や非日常へのエネルギー予約を取り消して、今ここにある日常に対してエネルギーを使いたいと思う。
日常に生きている、というだけでカッコいい人になりたいから、「生きているだけでカッコいい」を「自分の本当」にしたい。