フォロワーさんから面白い質問をもらったので、今回はそのことについて考えて書いてみた。
「文章を書いている人達って、言語化できない感情ってどうしてるんだ?それでも文章にするのか、余白を残してそれを表現するのか、はたまた文章にしないのか、どうしてるんだ?絵だと言語化できないから私は描いてるところがあるが、文章書いてる人はそういう感情どうしてるんだろうと思った」(原文ママ)
以下、僕なりの回答。あくまで僕の答えなので、他の人がどうかは知らない。
Q. 言語化できない感情をどうしてるのか。
A. 僕の場合、言語化できない感情は、言語化できないので、自分の中でひたすらぐるぐるさせるか、脇に置くかしている。
世の中には、メモをして整理する人もいるらしいが、僕にはそれができない。言語化できない感情をメモとして無理に形にすることは、「不完全なもの」を出力するのと同じであり、それは僕が望む形のものであるとは限らないからだ。あとで見て、高確率で自己嫌悪に陥る。そんなものはできる限り残したくない。
思えば、会話でもその傾向があるらしい。僕は自分の中で答えの出ていない悩みを、できる限り言わないようにしていると指摘されたことがある。友達に話す時は、「こういうことがあって、こうしようと思ってるんだけど」みたいな、ほぼ8割、方向性が決まっていて、あとひと押しをしてもらいたい状態で話を持っていく。
だから、言語化してそれをどこかに公開をするのは、自分である程度言語化に成功したと思っている時だ。のちに後悔はするかもしれないが、少なくとも、その時点の僕はその感情を真実だと思っている。
「余白を残して表現」なんて、器用なことは僕にはできない。だから、重めの感情を溜め込んで、体調を崩すこともあるのだが、この生き方しかできないのなら、自分の中で感情をぐるぐると渦巻かせるのも仕方がないかなと今は思っている。
……他の人の意見も聞いてみたい。