「失礼な話ですけど、カウンセリングって、割りの良いホストクラブみたいですよね。お金を対価に話を聞いてくれる」
僕がそう言うとカウンセラーさんは「一理ありますね」と苦笑した。僕のこんな下世話な言い回しにも、嫌な顔せず付き合ってくれるカウンセラーさんが、僕は大好きだった。
だけど、お別れ。僕は2年通ったカウンセリングを、仕事の都合で、この11月で卒業する。
僕の通っていたカウンセリングは1時間5000円。ここ一年は週1で通っていたから、月2万円の出費。大きい額だ。だけどこの出費を、僕は痛いと思っていなかった。むしろ喜んで出していた。1回5000円でカウンセラーさんの時間を買うことは、それくらい僕の心に欠かせない栄養となっていた。
僕が通っていたカウンセリングの基本スタンスは「傾聴」だ。カウンセラーさんは僕のどんな言葉も否定することなく、聴いてくれた。軌道修正する時ですら、「こういう方法もありますよね」と提案ベースだ。
元恋人に「お前は頭がおかしい」という暴言を吐かれて、どうしたらいいのか分からなくなって、扉を叩いたカウンセリングルームだった。最初は、自分の発言に隠れた認知の歪みを気にして、上手く感情が出せなかった。そんな僕に、ある日、カウンセラーさんが一言。
「品場さんが今、実際に感じられている感情を『認知の歪み』の一言で片付けちゃうのは、勿体無い気が僕はします」
この言葉をもらった日から、僕は一気に色々なことが話せるようになった気がする。仕事のこと。読んだ本のこと。家族のこと。学校のこと。友人のこと。見た悪夢のこと。歩んできた人生のこと。歩みたい人生のこと。不安。疑念。苦しみ。悲しみ。喜び。楽しみ。全てがあのカウンセリングルームに放たれていった。
僕は正直、人に悩みを話すのがあまり得意ではない。悩みを吐露することは、相手に自分が背負っている荷物を渡すことに似ている。そう考えると、「自分が渡した分相当の、相手の荷物を代わりに持ってあげられているか」が気になってしまう。大体の悩み相談は、一方的だ。だから、聞き手の負荷はとても高い。友人とはできる限りイーブンでありたい─自分勝手かもしれないが、これが僕のベースにあるからこそ、出かかった言葉はいつも喉の奥でつっかえる。
だがカウンセラーさんと僕の間には、そんな気遣いは存在しない。僕が5000円を払い、カウンセラーさんが5000円を受け取る。だから僕は話し、カウンセラーさんは聞く。それだけである。金による契約で成り立っている関係。実に簡潔。このようなドライな関係だからこそ、僕は喋れた。吐き出せた。
この先、どうしようか。一度、吐き出す快感を知ってしまった身体は、もう前のようには戻れない。新しいカウンセラーさんを探すのも手だ。でも、多分、今のカウンセラーさんと比較してしまう。それくらい僕にとって相性の良い方だった。
「お前は頭がおかしい」という評をいただいた結果、底辺に落ちた僕の自己肯定感は、この2年で「まあ、こんな僕でも良いんじゃないか」と思えるところまで回復した。この心持ちを維持したまま、この先も歩いていけるか、正直分からない。それでも、決めたからには歩くしかない。きっと大丈夫。前は向けている。悩んだら、脳内にイマジナリーカウンセラーさんを出現させて、問うてみても良い。いつもの柔和な笑顔で、話に応じてくれるはずだ。
いつものように「ではまた」と言って部屋を出ない。できる限り、自分で頑張れるようになりたい。それだけの知恵をこの2年間で授けてもらったから。
もしどこかで僕の姿を見かけたら、「元気にやってるなー」と思ってもらえると嬉しい。僕もカウンセラーさんを見かけたら、「お元気そうで良かった」とこっそり思うことにするので。
最後となりますが、約2年間、大変お世話になりました。いつでも変わらず迎えてくださるカウンセラーさんの存在は、とても心強かったです。ありがとうございました。カウンセラーは、大変なお仕事だと思います。心身共にご自愛して、健康で居続けてください。