テーマ:風俗・ニュース 目標文字数:1280文字 1342文字で達成
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2024年2月ごろから、「猫ミーム」なる一連の動画テンプレートのようなもの(?)が流行していた。定型文とお決まりのBGMで作られる、どこか異国情緒漂う寸劇型の動画である。
ふつうに言えばいいことや、くだらないことをわざわざ流行りの形に作り替えて公衆の目に晒すクリエイティビティに、その動機を問い質したくなることもあるが、今回ここで特に書きたいことは「猫」についてである。
ずっと疑問に感じていたことを正直に告白すると、なぜ「猫ミーム」という名前が一連の動画形式についているのかがわからない。
私は一連の動画に「猫」が登場しているのを見たことが無い。それに、百歩譲ってあのはんぺんみたいな妖怪や闇夜の綿棒みたいな化け物を「猫」に喩えているとしても、そのことについての言及がどこかで目に入ってもおかしくないと感じるのだが、それも見たことが無い。
人々の間であれらと猫の間に類似性が見出されているとして、それはどのあたりなのだろうか。私にはわからない。あるいは動画全体の雰囲気が猫っぽいのかなどと考えたこともあるが、その場合も「猫っぽさ」がネックになる。
この疑問や不安を友人に打ち明けると、「そんなに難しく考えなくてもいいのに」と一笑に付されてしまった。
深まった不安を覆うように楽天的に、何で猫ミームなんて名前になったんだろうねと聞いてみると、「そこに猫があるから」と答えが返ってきた。
私以外の誰もが了解している、そこにある猫的概念。
わからないのに、わからない名前の物が跋扈している。
これは流行りの音楽についていけなくなった時の感覚とは危機迫る感じが全く違う。価値観の相違ではない。ずれてきたな、で済む話ではないような気がした。呼び起こされるオルタナティブ、逆張り精神も無い。
また、解散したアイドルグループの姿を追って彷徨いまた群れる元ファンの光景に感じる背筋の凍りつきともまた違う。決して交わることのないものから来る不安とも質を異にする。
圧倒的で無音の、極低温の孤独感。受肉された疎外。
SNSとかで取り沙汰されているくらいならまだ距離を保つことができたが、普段見ている動画コンテンツのクリエイターの気に入ったのか、彼の動画にもやってきて、不意に目を背けてしまった。
暫くはインターネットが怖くなっていて、暇つぶしにネットサーフィンするなんてことができなくなっていた。
街に繰り出してみても、すれ違う人々は私と全く異なるものを見ているのかもしれないと考えだすと、冬の寒さが一段と身に沁みる。ああ、吹き付ける風がいつかこの街の風景ごと消し去ってしまうのだろうか。無の景色に「お前は孤独だ」と一生涯響き渡るのだろうか。
だからといって、路地裏で「これで皆に見えている物が見えるようになるよ」と赤いカプセルを渡されたとしても、飲み込むことはしないだろう。冒頭にも書いているが、べつに見たいと感じたことは無い。このミーム以外で、人々の猫的概念との逸脱は感じていないし。ただ単に、勢いのあるコンテンツの氾濫に吞み込まれてしまっていただけだ。
このくらいの元気は出てきています。
きっとどこかで、誰もが大なり小なり、自分にはどうしても了解できない概念(これを、ユニークな不安と名付けよう)をもっているものだと信じている。
書き終えてから
大抵のミーム系は嫌いではないけど、あれはなんか駄目だった。強迫性も無く、出自に邪悪なものを感じないのに。生理的に不気味さを覚えているようだ。
で、結局のところ人々にはあれが猫に見えているのだろうか?