正月休みの終わり、兵庫から京都に向かう昼過ぎの田舎道でヒッチハイク旅の人の前を通り過ぎた。「京都・大阪」と書いたスケッチブックを掲げた大学生くらいの男性だった。通り過ぎた瞬間からいろいろ考えた。
京都市には向かうけど北の方だし、大阪も視野に入れているなら方面が違うかな。
多少希望の方面へ寄ってもいいけど帰るの遅くなりそうだな。
まずごちゃごちゃ積んでる荷物を片付けないと乗ってもらえないな。
そもそも初めましての人を乗せて何かうまく喋れるほど自分は気さくな人間じゃないな。
知らない人を乗せることのリスクもないではないしな。
でもリスクが高いのってむしろ丸腰で車に乗る側の方だよな。
誰かが乗せなきゃあの人も困っちゃうよな。
いつもこうやって考えて結局誰も乗せたことないんだよな。
こういうとき積極的に動かないと人生のイベント増えないよな。
新年だしやったことないことやってみようかな。
1~2分ほど走ってからUターンして戻ったら、ちょうどシルバーの軽バンが彼を拾って走り出すところだった。いい人が見つかって良かったねの気持ちと、乗せなくて済んでほっとした気持ちがないまぜになりながら再度引き返し、一人で京都へ向かった。わざわざ戻ったくせに「乗せなくて済んでほっとした」ってなんなんだとも思うが、要するにこれは「人見知り」だ。
私はまだヒッチハイクの人を乗せたことがない。
通っていた大学にはヒッチハイクサークルがあり、友人も何人か所属していて、みんなコミュニケーション力が高く身綺麗にしている人ばかりだな……そうでなくとも初対面の人に乗せてもらって旅をするなんて誰にでもできることじゃないな……全国を野宿で旅してるのは同じなのに内弁慶な我らの自転車旅サークルとはえらい違いだな……と親しみと尊敬を抱いていた。
それもあってヒッチハイカーに悪い印象は全然なく、機会さえあればぜひ乗ってもらいたいと思っているのだけど、いざスケッチブックを掲げた人を見ると色々言い訳を探して「きっと誰かが乗せてくれるだろう」と多少の後ろめたさと共に通り過ぎてしまう。
またヒッチハイクとは異なるが、人里離れた場所をひとり歩いている女性を見かけて「大丈夫ですか?良かったら乗りませんか?」と声を掛けたくなる場面もしばしばある。しかしこんな場所で横に車が止まったら怖いだろう、声を掛けられたらもっと怖いだろう、断ってもその後ずっと怖い思いをしながら歩くことになるのは申し訳ない、そもそも何か目的があって一人で歩いているのだろうから余計なお世話かもしれないしな……と考えて素通りしたり一度引き返しても声掛けを諦めたりしている。これは相手に対して必要な配慮だが、同時にやはり自分への言い訳でもある。
かつて野宿旅をしていた身としては、声を掛けてくれる人がいるだけでありがたく、悪い人ばかりではないことを知ってもいる。そのとき人から受けた恩を誰かに返していくべきでもある。人見知りとか言ってないで、次があれば勇気を出して声を掛けたい。