正月に帰省した時、母が撮り溜めたTV番組を一緒に見ようと再生したらナレーションがものすごい早口で喋り始めた。直し方が分からないでいると母が「ああごめん、最近1.5倍速で見てるからそのままになってたわ」と言いながら等倍に戻してくれた。
な、なに~!? 母って1.5倍速で映像見る人なの!?
「全部じゃないよ、でもそうしないと録画溜まってく一方だから」とのこと。流行りの若者じゃん。母は電子端末やインターネットには割と疎い方なのだけれど、そういえばまだスマホもない時代にmixiで仲良くなった人とオフ会したり、私のTwitterアカウントをこっそり妹と監視していたり(実にひどい)と局所的に妙にハードルが低いところがある。育児と介護からは解放されたが仕事と家事と猫の世話には日々追われており、確かに見たいTV番組に対して時間が足りていないのはその通りだろう。
かくいう私も主にYouTubeで倍速視聴することが結構ある。ちょっと喋りが遅いので1.2倍速、空き時間が10分あって動画が15分なので1.5倍速、とにかく情報だけ得たいので2倍速とかしている。情報を浴びるのが好きな人間にとってはありがたい機能だ。
アニメ・映画など映像自体を楽しむ作品、プレイ動画やクイズのように「その速さでクリアできるの!?すげえ!」を楽しむ動画、好きなwebラジオなど「その人の話を聞ける時間そのものが好き」なものは等倍だが、逆にいえばそのための時間を別の倍速視聴で稼いでいると言えるかもしれない。
タイパの時代と言われる通り、供給されるコンテンツ量に対して個々人の可処分時間、ひいては人生の残り時間はあまりにも少ない。倍速視聴の是非は賛否を巻き起こしがちだが、「あのアニメ倍速で見たけど面白くなかった」と貶めたり作者に伝わる形で「〇〇の劇場版、ネトフリで倍速で見ました!」とか失礼なことを言うのは論外として、何に時間を使い何の時間を節約するかは個人の裁量だろう。
また「見た」にもグラデーションがあって、何をもって「ちゃんと見た」と言えるかは難しい。頭空っぽな私が見た端から内容を忘れておもしろかった~としか言えない等倍映画と、伏線やオマージュをちゃんと拾える人が見て脚本の妙や演出意図を語れる倍速映画とで、どちらの視聴体験に価値があるかなんて決められない(そんな人はおそらく映画を等倍で見るだろうけど)。
そんなわけで倍速視聴に関しては割と肯定派なのだけど、脳内に情報が流れ込みすぎると処理能力が著しく低下する実感があるのであまり濫用しすぎないようにはしたい。目が悪くなるのにも似た不可逆のダメージを脳に負っている気がする。あと無自覚に自分も早口になってしまうのではないかという心配がある。私には0.8倍速の機能がついていないのでこれにも気を付けながら付き合っていこう。