私は「平均より〇〇な方」という表現をよく使う。
誰に言うでもなく「この部屋の積読量は平均より多いだろうな」とひとり考えるときも、誰かに聞かれて「平均よりは車の運転が苦にならない方かな」と答えるときにも使う。
SNSを知ってしまうと急に世界ランキングに放り込まれるため現代人は自己肯定感を保ちにくいと言われて久しいが、つまりそれだ。
華やかな生活、質のいい持ち物、ずば抜けた才能、愛の重さを課金や知識で量るような価値観。あらゆるオンリーワンやナンバーワンがごろごろ転がっているのを見ていると、とてもじゃないがお山の大将や井の中の蛙ではいられない(それはそれで良いことにも思えるが今回の主旨はそこではない)。
だって自分よりはるかに〇〇が好きで得意で詳しくて時間とお金を費やしている人いるからな~~その人たちに比べたら「〇〇が好き」って堂々と言えるほどじゃないっすよな~~
そんな卑屈の結果が「平均より〇〇な方」である。
ここでいう「平均」は当然ながら身長や資産額のような定量的なものでなく、私の独断と偏見による「一般的にこう」「普通の人はこう」にすぎない上に、何を分母とするのかもまた難しい。
私は「日本人の平均」よりは文章を書くことが得意な方だと思うが、「インターネットに雑文を載せることに関心がある人間の平均」よりは下手な方だと思う。みたいなことはしょっちゅうあるし、聞き手と想定する分母が一致せず「平均より〇〇な方」でさえあらぬ火種になる恐れもあるため、Twitterなどではあまり使わず一周回って普通に「好き」とだけ言っているような気もする。なんなんだ。
いずれにしても言い切ってしまうことが憚られるというニュアンスがなんとなく伝われば良しとしよう。
そして「その平均ていうのは何なん? 普通に好きでええやん」と眉を顰めるであろう友人B嬢の顔を思い出し、「平均よりもだいぶ細かいことを流さずに突っ込んでくる奴だな」と思う。