漫画『宝石の国』が2024年11月21日発売の第13巻にて完結を迎えた。作者の市川春子先生に心からお疲れ様でした、ありがとうございました、と伝えたい。
◆宝石の国について(ネタバレなし)
完結記念としてアニメ版『宝石の国』が2024年12月31日までYouTube無料公開されている(追記:公開が終わってしまったのでアニメPVに差し替えました)。
「宝石の国って内容知らないけどタイトルはよく聞くな~」という方がいればぜひアニメ版を見てほしい。原作全13巻のうち5巻の途中までが描かれている。少し動きの固い3DCG作画が宝石の質感にぴったり合っており、演出やBGMも印象的で静と動、コミカルとシリアスのめりはりも見事。原作に忠実でありながら別媒体で再構築する大きな意義も感じさせる素晴らしいアニメ化だ。黒沢ともよパワーも、ある。
原作の『宝石の国』は、月刊アフタヌーンで10年以上に渡り連載された漫画作品だ。舞台は遥か未来、人間を含め多くの生命が滅びた後の地球。そこでは人の姿をした宝石たちが「先生」と呼ぶ存在と共同生活を続けており、彼らを奪うために飛来する「月人」と戦う日々を送っていた。主人公は脆くて不器用な末っ子の宝石、フォスフォフィライト。物語は彼が博物誌を編む仕事を与えられることから始まり、悠久の日々にやがて不可逆な変化が生まれていく。
私が『宝石の国』を知ったのは4巻が出た頃。Twitterの相互さんが「宝石の国を知らない人はこれからあの美しい世界に新たに出会える、それが羨ましくて仕方ない」という主旨のことを言っていて、その人の美的センスを好ましく思っていた私はその源泉を知りたくてコミックス1・2巻を買ってみた。
しかし作品があまりに難解で、独特の絵柄や間の取り方や読者に解釈を委ねる余白の多さに当時全く馴染めず、今誰がいて何をしているのか全然分からないレベルで読めなかった。読んだけど面白くなかったのではなくて、そもそも読めなかったのだ。「きっと分かる人には面白い作品なんだと思う、ということだけが分かる、でも今の私には無理だ……」とそのまま離れてしまった。
しばらく経ってアニメ化が発表された。原作を読めなかったことがずっと気がかりだったので助けてくれ~という気持ちで見始めたアニメはめちゃくちゃ意味が分かって、意味が分かるとめちゃくちゃ面白くて、そういう話だったのか……!!!と砕けるくらい膝を叩いた。文字通り世界が鮮やかに彩られた。蒙が啓けるとはこのことだった。
続きを今すぐ読みたくなり、アニメの先まで一気にコミックスを買い揃えた。宝石の特性を生かした個性豊かなキャラクター造形。美しい彼らの内にも宿る嫉妬や執着や不信。不死の身体ゆえに直面する様々な葛藤と苦しみ。心身を大きく変容させながら世界の真理に近づいていくフォスフォフィライトは、そして宝石たちは、一体どこへ向かうのか。読めるようになってからは目が離せなくなり、一冊進むごとに祈るような気持ちで続きを心待ちにしてきた。
原作を原作のままで解釈して物語に入っていけた人のことを尊敬するし、そのセンスを羨ましいと思う。もし私と同じように「原作ちょっと読んだけどよくわかんなかった」と序盤で引き返した人がいるなら、やっぱりアニメ視聴を強く勧めたい。
◆横道:オモコロと宝石の国(リンク先記事でネタバレあり)
↓オモコロ本家で2024年6月14日に更新されたJUNERAYさんの記事が素晴らしかったので、既読の人におすすめ。「初見の人の感想」という名の栄養を搾り取るために軟禁された作家・恐山さんと、本を読むこと自体がコンテンツになる才能・みくのしんさんが、『宝石の国』を3巻まで読む様子が丁寧に綴られている。PR案件ではないとのこと。
↓オモコロチャンネルで2024年11月22日に投稿された動画。『宝石の国』の13巻発売を記念して、アツアツおでん早食い大会が開催された。紹介したかっただけで特に見なくて大丈夫です。こっちが……PR案件……?
市川春子先生はファンアートを描くほどオモコロがお好きらしいので、winwinなコラボといえるのかもしれない(だとしてもよ)
◆第13巻について(ネタバレあり)
閑話休題、一話からあらためて読み返して物語を辿り、ついに最終巻を読み終えた。最初に出てきた正直な感想は「これを商業誌で一冊分も連載を続けたのか……?」だった。
物語が収束に向かう怒涛の展開と決定的な出来事は全て12巻に描かれていたので、これ以上に何を描くことがあるんだろう…?と思いながら開いた13巻。これまでの何もかも夢だったかのように穏やかで、しかしエピローグというにはあまりにも新しく大きな物語が広がっていた。
宝石たちも、金剛先生も、月人たちももういない。そこにはフォスフォフィライトだった存在と、ファンキーな目玉と、無垢な石ころたちだけがあり、柔らかい言葉がゆっくりと優しく交わされていた。この物語を一巻分描ききった作者の精神力も発想力も全く想像の及ぶ範疇にない。それは愛だとかもはや執念だとかでもなくて、ただ世界というのはこうして生まれるのかもしれないと思った。
この巻について、そしてこの巻によって完結した『宝石の国』という作品全体について、私は総括する言葉を持たない。よくこれ描いたな~というメタ視点を抜きにして作品世界に正面から向き合うには、自分という人間はあまりにも小さく、体感してきた時間も短すぎる。
死ぬことと、粉々になって元に戻れないことと、永久に無となることは、どのくらい違うのか。
平和で満たされた生活が永久に続くことに絶望し、無になることを全員が望む共同体の心境とはどのようなものか。
悠久の時を生き続ける彼(ら)に対し、孤独な一万年のことを人間の尺度で「かわいそう」と感じるのは(かわいそうと言ったユークレースを含め)正しい受け止め方なのか。
宝石たちが色や硬度や毒性を失い均質化したことで穏やかで円滑なコミュニケーションを会得し、なおかつ趣味や性格などの個性を(各々に変化はあれど)保っている状態は、喜ばしく美しい理想の世界の在り方ではないか。
均質化された幸福な月の生活よりも、差異と争いのあった地上の生活をより愛しく懐かしく感じることは、自分がそれらを内面化した人間だから持ってしまっているだけのバイアスではないのか。
問いと答えとそれに対する異議が堂々巡りしてしまって、確かなことが何も言えなくなってしまった。フォスの歩んだ道は確かにつらく苦しくあまりに永いが、果たして彼は哀れだっただろうか。そう思うタイミングは確かに何度もあったし、あの展開は人間の尺度でいえばかわいそうどころの騒ぎではない。しかし凄まじい早さで姿も内面も大多数の他者さえも変容させた彼は、神となってなお新たな出会いによって自分と向き合い、幸福を知り、他者のためにという原動力ひとつで自らが為すべきことを新たに見つけていく。ページをめくれば千年や万年が過ぎ去ってその度変わっていくフォスに対して、たかだか百年しか生きない私がどうこう言えることなんて何もない。
新しく生まれた石ころたちの世界も、さらに長い年月を重ねれば何らかの形でおそらく変わっていくだろう。人間が愚かな存在だったことは、それが滅びた後の存在が無垢であり続けることを意味しないので、悲観的な見方をすれば石ころたちが人間と同じ歴史を繰り返す可能性は十分にある。一番小さな弟が石ころたちに歓迎される様子は宝石たちの歴史の再演であり、彼が以前のフォスと同じ道を辿る可能性さえ予感させる。
しかし人間の痕跡が消滅し、彼らを奪いに飛来する月人もいないこの新たな楽園なら、宇宙が続く限り恒久の安寧が続く可能性もある……そう思ってもいいのだろうか。薄荷色のかけらは今度こそ平穏に生きて、いずれ誰の犠牲も新たに生み出すことなく、ただ安らかに無に返ることができるだろうか。
元々原作を読めなかった身なので、もしかしたら最終巻を含めた後半の読み方を何もかも間違っているかもしれない。
全てがアニメ化されたり、他の人の感想や考察を見たりすれば、全く解釈が変わるかもしれない。拙い今の自分が文字に残すことさえ空恐ろしいけれど「すべては変わっていく」のでそれもまた受け入れよう。
最後に好きな宝石を発表します。
ベニト♪