昔、ある店でアルバイトをしていた時の思い出話だ。
閉店時間が近づいた頃、「この辺りで泊まれる場所を探しているんです」と女性が訪ねてきた。ある病気の診察のために他県から日帰りでこの街に来たが、それが長引いて帰れる電車もバスもなくなってしまったとのこと。
まだスマホが普及していない頃で出先での調べものが難しく、私のバイト先には自由に使えるPCもなかったので、一緒にタウンページをめくったり別のスタッフにも相談して思いつく限りの宿や観光案内所を当たってみた。しかし泊まれる場所は見つからない。なぜならちょうど大きなイベントが開かれている日で、どの宿も遠方からのお客さんでいっぱいだったからだ。
今思うと別の街まで行けば宿も見つかっただろうがそこまで探すには至らず、女性は申し訳なさそうにこれ以上は大丈夫ですと去っていった。私もそれで区切りにして閉店作業に取り掛かった。
閉店後、仕事を終えて店を出ると、近くのバス乗り場にさっきの女性が座っていた。24時間営業のファミレスなどで夜を明かそうかと思案しながらも動けず途方に暮れている様子。思い切って「さっきの店員です。よかったらうちに泊まりませんか?」と声を掛けたところとても喜んで頂き、こうして知らない人を家に泊めることになった。
その後は一緒にスーパーで買い物をして帰り、夕飯には冷やし中華を作って食べた。同じアパートに住むBを呼び、お茶を入れて夜までお喋りした。女性は私とBより二回りほど年上に思われたが、とても話し好きで話題は尽きなかった。翌日は再度Bも交えて城や商店街を観光し、駅で帰りの電車に乗るところまで見送った。見送った後で、そういえば名前を聞いていなかったことに気が付いた。
しばらく経って、女性から店に電話が掛かってきた。名前を聞かなかったし名乗らなかったがバイト中の名札を見て私の名字を覚えてくれていて、あの時のお礼にと実家でとれたお米を送ってくれることになった。
その後は連絡を取っておらず、元々ご病気をお持ちだったこともあって今どのように過ごしているかは分からないけれど、私にとっては思い出深い一日だ。
なぜこれを思い出したかというと、宿が埋まっていた理由がオーケストラコンサート「サイトウ・キネン・フェスティバル」であり、その総監督を務めていた小澤征爾さんがこの2024年2月に逝去されたからだ。音楽に縁のない私が訃報を聞いて一番に思い出したのが、全く関係ないこのお泊りのことだった。あの女性もニュースを見て同じように思い出してくれていたりして、なんて思う。