2024夏休み/阿蘇・大分編

しお
·
公開:2024/8/20

夏休み後半、九州へ渡り阿蘇・大分を巡った記録です。


◆ 8月14日(水) 関門海峡(山口~福岡)・豊後森機関庫(大分)

夏コミ翌日の8月13日、車でKを大阪に送った時点で夏休みがあと5日残っており、西へ行きたい気分だったので九州を目指すことにした。この日は岡山のSAで目覚め、さらに西へ。山口県の美東SAで食べたチャンポンがおいしかった。今年の正月に関門海峡トンネルを歩いて門司へ行ったので、今回は高速道路で関門橋を渡り、門司から下道に降りることにした。

九州入りしてそのまま大分県玖珠郡玖珠町へ向かい、夕暮れ前の豊後森機関庫を訪問した。押し入れから出したひな人形のような香りが漂っていて、切り株のような山が鎮座する、不思議な空気感の町だ。

東日本大震災が起きた日、私は友人と自転車旅でここを訪れていた。当時は道の駅のテレビで津波の様子を呆然と眺め、銭湯のサウナのテレビで原発事故を知って、Twitterで情報収集をしながら不安と寒さで眠れない夜を過ごした。その時野宿した場所は今も大して変わっていなかったが、「まるで昨日のことのように思い出す」とは言い難いほど時間の流れを感じた。

近くのスーパーで買い出しをして、阿蘇の大観峰へ向かった。初夏に揃えた車中泊用の調理器具を初めてフルに使い、車中で米を炊いたり湯を沸かしたりしておままごとのような夕食を食べた。


◆ 8月15日(木) 大観峰・中岳火口・砂千里ヶ浜・白川水源(熊本)

大観峰で夜明けと共に目覚め、まだ暗いうちから集まった人々と一緒に日の出を見た。阿蘇五岳とカルデラのダイナミックな地形がゆっくりと朝日に染まっていく。「こんなに大勢集まって、日が昇ることの何がそんなに珍しいんかね」と言いながら椅子に机にコーヒーまで並べて満足気に山々を見渡すおじさんがいて良かった。

二度寝して朝食を食べる頃には展望所のゲートが開いたので、遊歩道をぐるりと歩いた。平地と台地がぱっきり分かれた阿蘇カルデラ特有の地形は、現実味がなくゲームのマップみたいでおもしろい。これをまた見たくて阿蘇に来たのだ。

平地まで降りて道の駅阿蘇に寄ったら、くまモンのポーチがかわいくてつい買ってしまった。くまモンはいつまでもかわいいな。その後草千里ヶ浜へ向かったが、駐車場が長蛇の列だったので通り過ぎて中岳火口と砂千里ヶ浜に向かった。

中岳火口はその名の通り、活火山の火口を間近で見学できる観光スポットだ。有毒ガスが噴き出すため気管支系の持病がある人は一帯立ち入り禁止となっており、避難所が建ち並んだり警報が発令されたりと物々しい雰囲気だが、その分間近で活火山の胎動を感じることができた。

砂千里は荒涼とした火口原が広がっているエリア。隕石のような丸い岩が無造作に転がっていて、知らない星に来たみたいだ。

阿蘇はどこを見ても本当に稀有な地形で美しい。どこまでも続く波状丘陵を縫って車を走らせていると幸せな気持ちで満たされ、今が人生のサビの部分だと思う。

その後、偶然通りかかって気になった白川水源に立ち寄った。入場料は必要だが、きれいな湧き水を目と手足で楽しみ、自由に持ち帰ることもできる場所だ。手持ちのペットボトルすべてに湧き水を詰め、川でしばらく足を冷やして涼を取ってから大分県の鶴御崎へ向かった。


◆ 8月16日(金) 鶴御崎灯台・水ノ子島海事資料館・丹賀砲台園地(大分)

この日は九州最東端の岬に立つ「鶴御崎灯台」を訪れた。ここは旧海軍の望楼跡でもあり、付近では兵舎跡や砲台跡も見学できる。岬へと伸びる展望台、海に向かってせり出す螺旋階段、望楼跡を覆う植栽が印象的な灯台だ。

灯台に設置された案内板に導かれ、少し西に戻った分かれ道の先にある水ノ子島海事資料館と渡り鳥館を訪問した。ここは豊後水道の孤島に立つ水ノ子島灯台にまつわる資料館で、実際に使われていた大型フレネルレンズ、回転機械、灯台守の制服などを間近で見ることができた。

併設の渡り鳥館は、水ノ子島灯台に衝突して命を落とした渡り鳥をかつての灯台守が記録し剥製にしたものを保管している貴重な施設。研究者への資料提供などもおこなっているとのことだった。

真っ青な海を臨む静かな資料館の奥で、解説員のおじさまがひとりでギターをかき鳴らしながら歌っていらして、それはどこか映画のような光景だった。地元有志の方が何人か交代制で解説員を務めていらっしゃるようで、とても丁寧に案内して頂き色々な話をした。帰りの坂道からは、水ノ子島灯台の姿も海の彼方に見ることができた。

さらに西にある丹賀砲台園地も訪問した。戦時中に築かれた豊後水道の守備要塞だが、1942年に起きた砲弾暴発事故で16名が亡くなった悲劇の地でもある。険しい斜坑をリフトで上がると、内部は思った以上に広い。中央の空間には事故の爪痕が生々しく残り、心なしか空気が張り詰めていた。現在は要塞そのものが平和資料館となり、ロケ地やアートイベントにも利用されているようだ。

佐伯市の観光案内所で九州最東端到達証明書を購入できるようなので町の方まで戻り駅前へ。証明書がこのたび新デザインになったばかりとのことで、2種類を購入。佐伯市は造船業が盛んで、一般人も参加できる進水式のパンフレットをもらった。

この時点でまだ明るい時間帯だったが、一旦行動を切り上げて仕事のメール対応に時間を割く。日が沈む頃には別府温泉街を横目に海沿いを北上し、姫島行きのフェリー乗り場へ向かった。


◆ 8月17日(土) 姫島(大分)

この日は大分県北東端の伊美港に車を置き、朝一番のフェリーで姫島へ向かった。はじめは車の航送も検討したが、十分に歩いて回れる広さの島なので徒歩で渡ることに。フェリーは公営で、片道560円と安い。早朝だからか、はたまた姫島伝統の盆踊りの翌日で需要が落ち着いているからか、島へ向かう乗客はごく少数だった。

姫島に到着してフェリーを降り、東端にある姫島灯台を目指して海沿いの道を歩いた。中学生くらいの女の子が自転車で新聞を配り、道端では猫がくつろいでいて、歩道には無造作に誰かの椅子が置かれている。島らしいゆるやかな時間の流れを感じた。

6kmほどの道のりを休み休み写真を撮りながら歩き、2時間ほどかけて姫島灯台に到着した。石造りの灯台は真っ白で美しく、庭園も立派だ。旧官舎は休憩所として整備されていて、扇風機で涼みながら冷たい麦茶を頂くことができた。暑さで参っている身には大変ありがたく、付近を清掃していた女性にお礼を伝えた。

ここで原付で日本一周しながら灯台巡りをしている青年と出会い、近場で訪れたいくつかの灯台の話をした。灯台が好きな人と初めて話ができて嬉しい。「〇〇灯台は行きました?」と聞いたとき、「行ったけど時間外で登れなかったんです……でもやり残したことがあるとまた行く理由になるから、それもいいかなって」と言っていて眩しかった。最近「もう人生でここに来ることは二度とないんだろうな」と思う機会が増えてきたけれど、いつでもまた来ればいいって思える方がずっといいな。

灯台から少し山側へ引き返すと、冷鉱泉の湧き出す拍子水温泉があった。この後もどうせ汗かくし着替えもないし……と思いつつ、せっかくの機会なので入湯。村外客でも310円と安く、タオルまで貸して頂けた。かなり成分の濃い鉱泉なので、湯舟が赤茶色に染まり鉄の味がするが、温冷交代浴が気持ちよかった。目の前に海が広がるロケーションも素晴らしい。

冷房の効いたロビーで地元の新聞を読み、無料の村内循環バスで港に戻って、近くの店でお土産を買い、和食処「かのや」さんで島の名産車えびのエビフライ定食を頂いた。予約でいっぱいだったが一人なら…とカウンターの端に座らせてもらった。頭からしっぽまでさくさくのエビフライに、小鉢も全て美味しかった。

店を出るとちょうどフェリーの時間。まだ昼過ぎだし島内にも他に見所はあるが、完全に満たされてしまったのでそのまま島を後にした。

灯台周りを掃除していらっしゃった女性、温泉施設の待合室でバス来たよ!と声を掛けてくれたおじさん、パンフレットを色々持たせてくれた土産物屋の店主さん、他にも何人か村の方と言葉を交わす機会があり、とても良くして頂いた。

伊美港に戻ると、すっかり旅も終わりの気分。最後にコンビニに寄ってブラックモンブランを食べ、九州を後にした。下道で関門海峡トンネルを抜け、これで徒歩・高速・下道・新幹線で関門海峡を渡ったことになった。次は在来線か船で渡りたい。


◆ 8月18日(日) 帰路

山口県の適当なところで朝を迎えた。旅は終わりだが時間はまだあるので、下道で家に帰ることにした。海を見て走りたいので山陰の海沿いから琵琶湖の北を抜けていくルートだ。

島根の道の駅キララ多伎で休憩していると、海水浴場のすぐ沖にイルカの群れを見ることができた。このあたりの海は少しエメラルドがかった色合いでとても美しい。出雲日御碕灯台に寄りたかったが道路陥没で大回りが必要だったので諦めた。島根もいつか時間をかけて巡りたい。

丸一日走って走って深夜に自宅近くまでたどり着いた。明日は仕事だがこのまま家に戻るのも名残惜しく、近所の公園で寝て朝に帰宅した。

特に予定もなく始めた遠出だったが、思いがけず充実した夏休みになって良かった。

@m_shiroh
140文字以上の文章を書く練習をしています。自己紹介代わりの記事リンク集はこちら→ sizu.me/m_shiroh/posts/kk0dbd40xv71