大学を留年して就職先を失った話

しお
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公開:2025/2/18

私の人生は基本的にラッキーだ。大した努力をしなくても人並みの生活ができているし、家族・友人・パートナーとも関係は円満で、大きな苦労や怪我もしたことがない。

その中でも特にラッキーだったのが、大学を留年して就職先を失ったことだ。


大学四年生のとき、私はあまりにも卒論が書けなくて一度留年した。一応雑にまとめた原稿用紙の束を封筒に入れ、提出期限30分前に教授の部屋の前までは行ったのだが、ノックする勇気が出なくて踵を返してしまった。

両親に平謝りしてもう一年在籍させてもらい、教授にはいくらでも居ていいですよと笑われ、バイト先には辞めないの?助かる~!と感謝されたが、そうもいかないのが就職先だ。

氷河期ほどではないがそこそこ就職難な時期に、ラッキーな私はある会社から内定をもらっていた。留年が決まり、その会社には丁重にお詫びと事情説明をして入社を辞退した。元々明確にやりたいことも無く就活も苦痛だった私は、再び就活する気に到底なれないまま大学五年生をだらだら過ごし、あらためて卒論をでっち上げて無職のまま卒業した。

その後は数ヶ月ニート生活をしたが、実家に戻らなかったのですぐに貯金が底を尽き、ハローワーク経由で偶然拾ってもらえたのが今の会社だ。多少の大変さや理不尽さはあるが、人間関係はそれなりに良好で、地方の零細企業の割に給料もさほど悪くない。自分の身辺や心情に大きな変化がない限り、平和に続けていけそうだ。

そう思える会社に拾われたこと自体もラッキーだが、本当にラッキーだったのは元々就職予定だった会社が後に犯罪と経営破綻で消滅したことだ。

私が留年してから数年後、就職するはずだった会社のよくない噂を聞くようになった。行かなくてよかったかもねなんて知人と話していたある時、その会社が法律違反と詐欺容疑でグループごと摘発されたことが全国的に報じられた。一時は経済産業省から表彰を受けたほど傍目には好調に見えていたが、実は消費者を騙しながらの自転車操業だったことが明るみに出てしまったのだ。従業員は一斉解雇となり、役員の何人かが実刑判決を受け、会社は破産手続きを経てすっかり無くなってしまった。就活のとき最終面接で朗らかに話してくれた取締役は、その後自ら命を絶ったという。調べればすぐに出てくる割と有名な企業グループおよび事件である。

もし留年せずそのまま入社していたら、今頃は犯罪企業の経歴を背負って路頭に迷っていただろう。その絶望的なルートを、私は教授の部屋の前で踵を返して留年が決まったあの瞬間に華麗に回避していたのだ。

ラッキー!! これが大学を留年して就職先を失った話である。


Kは、この話を面白がって何度も聞いてくれる。昨晩も電話しながら何かの拍子にまたこの話になったので、一度文字に起こしてみることにした。

Kは厄年とかお祓いとか風水とかを割と気にするタイプの人で、「ラッキーな人と一緒にいることで、自分にも良い運気が移ってる気がするんだよね」と私のラッキーを喜んでくれている。

私は厄年とかお祓いとか風水とか全く気にしない人間で、人生における数々のラッキーも幸福の星の元に生まれたとかじゃなく完全にただの偶然、確率のいたずら、あるいは気の持ちようだと思っている。その点でKと感覚が合わないこともあるのだが、何もしなくてもパートナーが「一緒にいてラッキー」と勝手に喜んでくれることが結局私にとって一番のラッキーなのかもしれない(惚気オチ)。

@m_shiroh
140文字以上の文章を書く練習をしています。自己紹介代わりの記事リンク集はこちら→ sizu.me/m_shiroh/posts/kk0dbd40xv71