自転車のこと

しお
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公開:2024/9/2

先日近くでヒルクライムの大きな大会があり、自転車乗りの友人が仲間と共に遠征してきたので、短い時間だけ一緒に観光して会場に向かう姿を見送った。働きながら毎日ストイックにトレーニングを重ね、仮眠を取りながら夜通し車を運転して遠征し、全力で大会に臨んだあとそのまま運転して帰っていく気力と体力には心底驚かされる。

友人はここ数年の間に本格的に自転車を始めたと聞いている。地元チームに所属して先輩に指導を受けながらヒルクライム中心に様々な大会で好成績を残しており、期待の新人としてメンバーに可愛がられているようだ。


ランドナー(旅用自転車)での自転車旅しかしていなかった自分にとって、自転車レースは近くてあまりにも遠い世界だ。レースに出るような人たちは私がぜぇぜぇ言いながらちんたら進む峠道を平地のようなスピードでがしがし登っていくし、私がすいすい進める平地では車並みのスポードで風を切り裂いていく。

それは東京マラソンを走るランナーと駅の階段でバテる自分が比べ物にならないのと全く同じことなのだけど、自転車という共通項があるばかりにその差をより強く感じてしまうのかもしれない。同じ乗り物、同じ人間とは思えない……と昔から感じていた。

速さに憧れてエントリーモデルのロードバイクを買ったことがある。しかし細いタイヤ、ビンディング、STIレバーに全く馴染めなくてちょっとした街乗り程度にしか使わず、遠出するときはランドナーばかりだった。

車一辺倒の生活になってしまった今はどちらも物置で埃をかぶっている。


そんなわけで自転車に乗らなくなって久しいが、前述の友人と共通の友人でもあるB嬢に背中を押される形(正確には首根っこをつかまれる勢い)で、昨年の秋にしまなみ海道を自転車で走った。

しまなみ海道は広島県尾道市と愛媛県今治市の間に連なる瀬戸内の島々を橋でつないだ約70kmのルートの総称で、自転車レジャーの聖地としても有名だ。憧れはあったものの車でしか通ったことがなく、せっかくの機会なので古いランドナーを整備して持って行った。

自転車道が丁寧に整備されており、小高い場所にある各橋へもゆるやかな螺旋スロープが設けられていてとても走りやすい道だった。一瞬だけ挟まる峠越えで息が上がってしまい体力の衰えを如実に感じたが、展望台などに寄り道しなければつらい坂道はほとんどなく、フォトスポットに寄りながら走るには距離もほど良くて運動不足にも優しい。夏場なら暑さが敵になったかもしれないが、11月の瀬戸内はおだやかで心地よかった。

自転車乗りの友人にとってはお散歩レベルだろうけれど、楽しそうに丁寧に先導してくれてありがたかった。久々の出動でランドナーも喜んだことだろう。


そんな機会があって自転車を整備し保険にも入ったのでその後しばらくは乗るかと思ったが、全然そんなことはなくまた物置の肥やしになってじき一年が経とうとしている。

音を聞くことも映像を見ることも文章を読むこともせずひたすら自転車を漕ぐという行為に振り向けられるリソースが私の中に元々あまり多くなく、学生時代+その後の数年あたりでほとんど使い切ってしまったのかもしれない。今は時間があるなら何かコンテンツに触れていたいし、あるいは車でより遠い場所へ行きたいと思ってしまう。

しかし自分にとって自転車が車を持つまでのかりそめの移動手段に過ぎなかったのかといえば、それは違うと思いたい。自転車のことも、自転車に乗ることも、確かに大好きだった。今でも友人をはじめ楽しそうに走る人を見ると羨ましく思う。

自転車という相棒と自分の力だけでここまで来た、ここまで登ったという達成感があるのはもちろんのこと、そうだ、書きながら思い出してきた。他の全ての行為を排して延々とペダルを回している時にしか得られない静かな思考の時間があって、それが自分は好きだったのだ。


体力だけじゃなく思考力も年々衰えていることを自覚しながら手をこまねいているばかりの日常に、今こそ寄り添ってくれるのは自転車かもしれない。 

過酷なレースじゃなくても、厳しい坂道じゃなくてもいい。近所を走っていつもの交差点を初めて曲がってみるだけでもいいから、また自転車に乗ろうと思う。

@m_shiroh
140文字以上の文章を書く練習をしています。自己紹介代わりの記事リンク集はこちら→ sizu.me/m_shiroh/posts/kk0dbd40xv71