日記 気分と虚構

 この「しずかなインターネット」というものがツイッターのタイムラインに流れてくること数回、ついに単純接触効果によって「自分もやってみたいな~」と思うに至った。この虚無っぽい作りがよい。まるで何事かが書いてあるような感じが出る。楽しそう。そこで、今まで何度か挑戦しておよそ続いたためしのない日記というものを書いてみることにする。日記と言っても毎日は到底書くことがないので、書くことが生じたときだけだ。

 何について書くかというと、日常の中でふと考えたことや、気分についてである(※1)。日常会話において、隙あらば十二割ぐらい己の話をしてしまう自分にとって、王ロバ(※2)的に、穴を掘って己の話を吹き込み、埋めておくのはそう悪くない試みだろう。目指せ自分の話率三~四割。

 しかし、穴から生えた葦が秘密を吹聴したように、インターネットに自分の個人情報やプライベートな話を書いて流すというのはあまり安全上褒められない行為である。これから自分の書いたものをうっかりお読みになってしまう方にとってもご不快だろう。被害者は主にツイッターのフォロワーさんだろうから、余計である。こっちを永久に見ることのない彫像が全裸でも別に気にならないが、知り合いが全裸でこっちを見ていると死ぬほど気になる(※3)。

 そこで、内容にはフェイクを入れようと思う。たとえば自分は姉とあまり折り合いがよくないが、そのことを書く際にわざわざ彼女が自分の姉であることを明言する必要はない。具体的な家族構成や肉親との不仲といった類の事柄を公言するのは不適切な場合が多く、できれば避けたい。そういうときは、「昔から付き合いがあるが、なぜか馬が合わない人」のようにぼかして書くか、あるいは「歳の近い先輩」のように、話の説明に必要なエッセンスだけ残して、あとはすっかり変えてしまえばいいわけである(※4)。

 こんな説明を今更しなくても、世の書き手は自分を守るため、直截な表現を避けるため、そして読み手と己との適切な距離を保つために、日々巧みにフェイクを使いこなしていることと思う。自分もそれに倣って、フェイクの膜を厚くしたり薄くしたりすることで全裸になることを避けつつ、うまいことエッセンスの部分だけを露出したいのだ。何かを言うことの責任を真っ向から逃れていこうという、臆面もないスタイルである。

 また、自分はごくまれにだが、小説状の文章を錬成することがある。そうした純度100%フィクションのテキストもここに格納し、日記と区別しない形でほっぽらかしていこうと思う。

 よって、すべてはカスの嘘です。何も信じないでください。撮影中不幸な目に遭ったどうぶつはいません。どうぞよろしくお願いします。

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※1「気分」というのは、本当は「感情」と言ったほうが適切なのだが、好みで「気分」と呼びたい。近頃「感情」と呼ばれるものを、自分は持っていないからである。「己がそこに属し、また属していると思われているコミュニティと言葉を共有していない」という事態は、世にありふれていることだろうが、なんとも不思議な感じである。自分はもっとなんかこう……フワフワ~っとして、その発生に理屈をつけてやるほど高尚なものではなく、右見て左見てまた右見たらコロッと変わってる「気分」の話がしたい。「体調」のような意味も包含しているのがさらによい。「感情」ならば説明をつけて取らねばならない責任を、「気分」ならば外界からの影響のせいにできる気がする。そうか?

※2「王様の耳はロバの耳」の略。別に王様とロバのCPではない。

※3これは嘘。ほんらい人(クソデカ主語)は、永久にこっちを見ない彫像でも全裸だったら気になる。「これは像なので全裸でも気にしなくていいです」と教えられたから、気にならないようになっている。

※4自分に姉はいない。よって不仲な姉もいない。

@mabanashi8
日記などを書きます。すぐにうっちゃる可能性があります。