砂山と私

こんばんは、マキナです。

何を書くか迷った結果、私の好きなパラドックス『砂山のパラドックス』を2回目の更新の題材にしようかな、と。こういう頭をひねるような、難しいお話が好きな方、多いんじゃないでしょうか。

砂山のパラドックスを簡単に説明すると、「砂山から砂を1粒取っても砂山だけれど、どんどん砂粒を取っていって、砂山が最期の砂1粒になったとき、それは『砂山』と言えるのか」という問題みたいなものです。ややこいですね。

私は暇な時、この砂山が『人』になったら……と考えることがあります。

例えば、今これを読んでいる人から髪の毛が1本抜けたとしても、その人のままだと思います。でもごっそり髪の毛が抜けたら?もっと重要な部分が無くなったら?最後の砂1粒が砂山だとするなら、髪の毛1本でも「その人」と言えるかも……?

しかも、『人1人を構成する情報』は砂1粒よりきっと多いはずです。例えばSNSの投稿が『生存確認』なんて言われてたりするあれ。SNSへの投稿がその人を構成する1要素なら、最後の砂1粒がSNSの投稿になってもいいのでは。砂1粒が砂山になれるのなら、SNSにひとつ投稿をするだけで人を1人、いのちを1つ、生きているキャラクターを1人作れてしまうのでは……なんて考えたりしています。

砂1粒のややこい考え事の話でした!おやすみなさい!みなさまいい夢を!

@machina3d
こんにちは、マキナです!