『電子コンピューターの父』のひとりだと言われる、数学者アラン・チューリングの生涯を描いた映画を観たので感想書きます。ネタバレあり。
チューリングには本当に平穏と幸せを得てほしかった……。
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昨年アラン・チューリングについて知り、その功績や生涯のドラマチックさに惹かれたので視聴。
やはり天才は明らかに他の『普通の人』と思考法が異なっているのだなということが、登場するエピソードの数々から読み取れた。
序盤では、チューリング自身は自分が変わり者なことについて気にしていない、自身の目的を遂行できれば他はどうでもよいというふうに見えた。しかし戦争に勝つために功利的な判断を下さねばならないときでもそれで悲しむ人(同僚)の気持ちも理解できたり、苦痛を伴っても「独りになりたくない」と自分の研究に没頭したりするさまには非常に人間的な感情を感じた。
だからこそ余計に自らが『普通でない』ことに、ときどき猛烈なやるせなさを感じているのではないかと思った。
エニグマを解読して戦争をより早く終結させるという偉業を成し遂げたというのに、生涯その仕事が秘密裏に扱われていたこともやはり非常にやるせなくて切なかった。その上同性愛者であることを理由に化学療法をさせられた末に自殺してしまったチューリングの心情を考えると、涙が止まらなかった。
そんな中でジョーンがいろいろな意味でいいハブ役になっていたのが救い(変に恋愛関係をでっち上げられることもなくて良かった)だった。
ジョーンの助言で、ギスギスした同僚たちとコミュニケーションを取るためにチューリングがリンゴの差し入れを持っていくところは、本作の和みポイントの一つだと思う。(でもそれがリンゴか……と考えるとしんどくなる)
その同僚たちがのちにチューリングのピンチを救ってくれたり、何気ないヒントでエニグマ解読の糸口が見つかりあっという間にチームメンバーでやり遂げたりするシーンは観ていて手に汗握った。
中盤まで地味+人々がいがみ合う展開が続くので少々つらいが、チューリングたちの功績はもちろん、彼の人となりや心情まで透けて見えるような構成はとても感銘を受けた。チューリングの立場を垣間見ることで、彼の成果(電子コンピューターの基盤のひとつとなったことなど)に自分も恩恵を受けていること、それがありがたいことだと今一度感じた。
そして、今では当たり前にある電子コンピューターが『普通でない人』の努力のたまものなのだと思うと、マジョリティから異端者を排除するということは可能性を排除してしまうことなのだと痛感した。人間の主観的な感情で可能性を殺すことがなくなればいいと願ってやまない。