このまえ、そんな話をした。
「〇〇していくのが難しい」と聞いて、その理由を聞いて粗い粒度での話で終始すると、非常にもどかしい。ムズムズする感じ。
この「〇〇する」ことがなぜ難しいのかを大きいままざっくりしていて、分解できていない気がしてならない。
大抵は、分割・整理ができておらず、雰囲気や思い込みから結論付けられていることが多い気がする。
肉体的難度(たとえば、視力や50mを何秒で走るか、五感や筋力などの身体能力に依るもの)を除いて、難しいというのはいくつかに分解できる(はず)。
Input
情報の不足
経験の不足
時間の不足 など
Process
処理が複雑
判断が多い
コミュニケーション量が多く、一人で完結しない など
Output
求められる質・ハードルが高い
成果物フォーマットが複雑
連携先が多岐にわたる など
上記はぱっと思いついた形で分解したけど、他にも分解する軸や切り口はあるはず。
大体、分解することができないときは、その事象と自分との距離が近すぎて全体像を見れていない。映画館で最前列の席を取ったときぐらい。
そういうときは、一歩退いてみる。できない場合は、他者に頼る。
とくに、他者に頼る場合は前提条件とか知らない人にお願いすると良かったりする。というか、その他者も自分と同じ位置だったら、事象と近すぎて意味ない場合がある。
別の話で、「数学の問題を解く」のが難しいというのもある。
たとえば、(https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~tsuboi/UnivLectures/tayo2003/note4.pdf より拝借した)
が、n 次元微分可能多様体の定義だが、これだけ出されても意味がわからないし、理解が難しい。そもそも、ハウスドルフ空間や同相写像、各記号の定義や意味がわからないと理解もし辛い。
こういう場合は一つひとつ丁寧に分けて、知っているもの・知らないものに分ける。知らないものは調べたりして、噛み砕いていく。
そうすると、知っているものだけになる。
ここでイメージができれば良いが、まだイメージができるとは限らない。
知っているものだけでも、まだ抽象的な状態で具体的ではない。
そういう場合は簡単な例などを考える。
上の場合だと、n = 1 の場合はどうだろうか?とか、開被覆が絵にかけるようなものだとどうなるか?とか手に扱えるものにして、イメージをする。
上記のように、ブレイクダウンを繰り返して、極力平易な表現や具体的に落とし込むと、ある程度、理解していない、わからない部分、難しい部分が小さくなる。
この程度になれば、目標は達成できていそうだが、更に欲をいえば、抽象化の方向に考えていくこともできればいい。あわよくば、一般化や高次元化ができると数学的には面白い。
まとめると、「分解できていない状態で難しい」という場合は、以下を行いたい。
分解するための切り口を考える
その切り口で分解を繰り返す
分解した小さい事象の中で理解・無理解を分ける
ここまでできてようやく、無理解の範疇(つまり、難しい部分)が特定できるはずなので、ここで「難しい」という言葉を使いたい。
自分もまだまだだけど、そうありたい。