「瑞人も失礼だよな。俺がそんなに孤独死しそうに見えるかな」
瀬名はくつくつと笑いながらそう言った。仕事の内容について私がなにかを話したわけではないのだけれど、どうやらすべてわかりきっているらしい。
殺風景な部屋だった。殺風景だろ、と本人も笑っていた。自覚はあるらしい。家具らしい家具はなにもないのに、床に直置きされた大きな金魚鉢の中で金魚が悠々と泳いでいるのが奇妙だった。
「水でいい? まあ水しかないんだけどね」
瀬名は明るい調子でそう言って、透明なコップに水道水を注ぎ、私に渡した。思ったよりも明るい男だな、と思う。よく笑うし、よく喋る。正直、もっと陰気な男を想像していた。これなら別に、私が派遣されなくても婚約者の一人や二人は見つかりそうだ。
座っていいよ、と瀬名がなんの屈託もなく言う。手で示された場所は明らかに床だった。椅子はおろか、クッションもない。これなら床に背を預けて立っていた方がずっと楽そうだ。
首を横に振って否定を示した私に、瀬名は特になにも言わなかった。別に私が床に座ろうが立っていようがどうでもいい。そういう態度だった。
「質問があるわ」
「どうぞ」
「私のこと、どこで知ったの? 私のこと、というか、今回の件のこと、だけれど」
聞きたいことはいくつもあるけれど、まず一番はそこだった。あの喫茶店には、私と小暮以外の客はいなかった。席はその場に入ってから私が決めた場所だから、盗聴器の類が仕掛けられている可能性も低い。
もちろん、仕事のことを他言にはしていない。小暮だって同じだろう。可能性があるとすれば私が借りた部屋の元家主くらいだけれど、彼が知っていることなんてこの一件の、ほんの氷山の一角に過ぎない。
んー、と瀬名は少しだけ考えて、それから微笑を崩さないままで言った。
「神様だからー……って言ったら、どうする?」
「精神病院に連れて行くわ」
「あはは、冗談。もう行きたくはないかな、あそこは」
どこまでが冗談なのかは聞かないことにした。
別に、仮に彼が神かなにかだったとして、それはどうでもいいことだった。神を信じていない、と小暮は言ったけれど、それは私も同じだった。私は神を信じていないし、信じなければそこにいるのはただの人やモノでしかない。
「まあ強いて言うなら、なんとなく?」
「勘がいいのね」
「それなりに」
瀬名がへらへらと笑う。どうやらちゃんと話をするつもりはないらしい。小暮の方がまだまともに質問に答えてくれていたような気すらする。
とにかく、どういう経緯かはわからないにしろ瀬名に知られてしまった以上仕事の継続は不可能ということになる。少し名残惜しくはあるけれど、小暮に連絡して現状を伝えた方がいい。きっと彼は、意味がわからない、と言うだろうけれど、そんなの私だって同じだ。
「あ、瑞人には言わなくていいよ」
「……はあ?」
一瞬耳を疑ったけれど、そう言ったのは、紛れもなく瀬名だった。呆れた声を上げた私に、瀬名はあっけらかんとした顔で言った。っていうか、言わないでね、瑞人には。
「そう言われても」
「わかってるよ。朝倉さんも仕事だもんね。だから仕事はそのまま続けて」
意味がわからない。困惑は、おそらくは顔に出ていただろうに、瀬名は少し笑っただけだった。昔さ、と瀬名がふと遠い目をして言う。
「昔、瑞人がさ。カーテンの裏に隠れて、帰ってくる俺を驚かそうとしたことがあったんだ」
昔。それはどれくらい昔のことなんだろうか。小学生くらいの子どもが考えそうないたずらではあるけれど、実際のところはなにもわからない。私は彼らのことを知らなさすぎる。
「まあカーテンの下から足が見えてるから、バレバレなんだけどね」
「でしょうね」
「でも本人は完璧に隠れられてるつもりで、息をひそめたりしててさ。だから俺も知らないふりして、あちこち探し回ってみたりして」
そういうのが結構楽しくてさ、と瀬名は笑って言った。今までの軽薄そうな笑いとはまた違う、滲み出るような笑顔だった。
彼の言いたいことが掴めないほど、私も察しが悪くはない。要するに彼は、小暮を泳がせると、そういう話をしたいわけだ。彼の目的をすべて理解した、その上で。
瀬名が黙って静かになった部屋に、唐突に無機質なアラームの音が響いた。あ、と瀬名が小さく声を上げる。
「電話?」
「や、エサの時間」
「ああ、金魚」
「そうそう」
瀬名がキッチンの戸棚から小さな缶を取り出して、それを金魚鉢に軽く振った。金魚は口をぱくぱくと動かしながら、餌の方をめがけて泳いでいく。名前はあるの、となんとなく聞くと、瑞人、と瀬名は淡々と言った。
冗談、とは、今度は言わなかった。
(以下日記)
やばい男ともっとやばい男のBLが読みたくて書き始めました。瀬名も小暮もキモくてウケますね。
Xで訃報を見かけて、誰かと思ったら昔自分の一次創作の小説をいいねしてくれていた女の子で、なんだかやるせなさでいっぱいになりました。見たことはあるけど話したことはなくて、本当に「小説にいいねをくれたことがある人」というだけなんだけど、たぶん忘れないんだろうなぁ。人は死ぬ。本当に。
どうしたもんかね。
わりとよく行っていたご飯屋さんが閉店する、ということを、その店で注文した料理を待っているときに知りました。金曜日のことです。
ちょっとショックを受けながらチキンライスを食べて、ふわふわした気持ちのままお会計をしたら「またのご来店をお待ちしております」と言われて、いや来週にはこの店ないじゃんと思いながら「はーい」と答えてしまいました。たぶんまたのご来店はないけれど、それを推定タイ人(タイ料理屋だから)の店員さんもわかっているんだろうけれど、なんとなく普通に返事をしてしまって、なんだか不思議な気持ちになったことを今日まで引きずっています。
思った通りにならない、自由にならない、という意味の「ままならない」という言葉はあるけれど、「ままならない」という言葉は肯定のかたちで「ままなる」という言い回しはしないことを今日ちゃんと知って(聞いたことはないからしないんだろうな、とは思っていたけれど、ちゃんと調べたのは今日が初めてでした)まんま人生じゃん……と文字通りままならない気持ちになりました。あと行こうと思って金曜くらいから調べていた料理屋に行くために珍しく遠出をしたら祝日で休みでした。ままならね~!
そんな感じです。
新成人の皆様、成人おめでとうございます。