海外では自分の意見を主張しながら議論を進める場面が多く、主張しないとなにも始まらない。それはカナダに留学に行った時にも感じた。
それを日本と比べて、「日本人は主張が少なすぎる」「もっと主張すべきだ」なんて言われていることがよくあるが、納得はできる。
ただ、主張させることを強制することはできないのはもちろん、そもそも主張できるような環境になっていないのかなとも思う。
対面で人と話していると意外と知らない部分が見えてきたりして、それこそ主張されてることが多いのに、画面越しで生きる世界が多すぎてその機会が少なくなってきているのではと思う。
画面越しでも主張することはできても、それが炎上のタネになったりするリスクを感じて発信する機会が減る。
こうしてみてみると主張できる環境を整えるには、画面越しの世界と対面での世界の2つからアプローチができることに見えてくる。
僕一人で他人に何かをさせることはできないし、主張できる環境を整える影響力もないのは理解しているけど、人の本質はたとえ声を大にして言えるような綺麗なものでなくてもその人の味なのだから、決して隠したり無かったことにするようなものではない。
僕の力では画面越しの世界に立ち向かう能力がまだ足りないので、少しづつRPGのようにまずはできることから、一人一人と対面で向き合ってその人の味を知っていけたらと思う。