文字を眺めるという行為
僕は本が好きだ。紙や装丁、匂いや並べた時の佇まいなど含め、本そのものが好き。そしてそれはもちろん読書も好き。本を読むことで爽やかな青年っぽい雰囲気を出せるし、知識がついたようで頭でっかちになれる。文章という視覚による情報しかないにも関わらず、それは対面している時よりも、こってりラーメンを食べる時よりもはるかに濃厚な情報が凝縮されているように感じる。生成りのような色をした紙に黒い文字が刻まれているだけというのに、映画を観ている時と同じくらいその世界に入り込んでしまう。その感覚が大好きでたまらない。
本と言っても雑誌や小説、写真集にビジネス書などなど、それはもう山のように種類と目的が異なったコンテンツなので、なにを選ぶかによっても好みとなる対象が変わる。僕の場合、エッセイや哲学が好きなので読んでいてクスッと笑えるような作品や、ふむふむと考えさせられるような作品を好んで選ぶ。雑誌や写真集などビジュアルを意識した目で見て楽しむコンテンツなら何ら問題はないのだが、黒い文字でびっしりと埋められた作品の場合、ただ見てればいいというだけでは最大限に楽しむことができない。読む、という動詞に含まれる、言葉を目で見てその意味を理解することが本を楽しむための最大のポイントとなるので、いかに一文字一文字を理解して読むのか。というのを肝に銘じて読む。という行為は大変疲れるので実際はもっとラフに読んでいる。寝転びながら。ときたまスマホを覗きながら。水を含めながら。本を読むってきっとそれでいい。本を読まなきゃと思ったり、しっかり理解しなきゃ意味がないと思いがちだけど、本の内容全てが面白い作品ってこの世に片手で数えられるかぐらいだと思う。一冊のうちに面白い!と思えるポイントがいくつかあればラッキーというお気持ちで読んでる。(まぁ僕の文章は一部分の例外なく面白いから片手で数えられるうちの一つなんだけどね)
文字の、文章の意味を理解してふむふむと考えることでより楽しめるのかもしれないけど、理解することに必死になっていつの間にか自分の首を絞めてしまうことがないように“ほどよく”触れていければいい。本を読んでいる、本に触れている自分が好きなのだから。そして僕はページを巡る音を出すことだけがどんどん上手くなっていく。