アラン・ムーア(原作)エディ・キャンベル(画)『フロム・ヘル』上下巻

真冬の海
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公開:2026/3/4

一見漫画ではあるものの、読んで納得「グラフィックノベル」というジャンルらしい。大判本だが文字が小さくて、これはそのまま電書化しても読みにくいかも、と思った。紙がしっかりしているので厚くとても重い。

1800年代後半に実際あった事件を元に、残された記録や証拠証言等を丹念に調査して齟齬なく、そして完全にアラン・ムーアの作品として創作された。この厚さなのに読後は「全然尺が足りなかった……」と呆然とした。事実私の買った書籍巻末には作家本人の手によるかなりの量の補足情報が付録になっていて、これを一読するのにも結構な時間が掛かってしまった。

読み応えありまくり、読後には調べたい事が山盛りで、その時間も充実したものだった。

感想文にはネタバレ沢山あります

その上読みながらのメモを並べただけの箇所もあり読みにくいです……


【上巻】

まず気が付いたのは私の馴染んでいる漫画との違い。

映画で、BGMなし効果音なし台詞なし、そこに映る対象の立てる音のみ(足音だけとか)そんな場面の表現がある。それを彷彿とさせる絵的表現の連発だった。情報が極力絞り込まれていて目が離せない、なにひとつ見逃してはならない、他者にはオープンにしていない秘められた何かがこれから映る……! そんな場面。「フロム・ヘル」はこの雰囲気が紙面で続く。

身分格差による人の命が安すぎた。家の都合で12や13歳で結婚させられ、その後離縁されたら娼婦ルート確定みたいな世界が過酷。そしてそんな仕事をしなくては生きていけない女性達の人権のなさと、その命が安いどころか死んだら迷惑くらいに思われててキツかった。死後に家族のいた事が判明しても、誰も悲しんでいないのは切なかった。誰かの悪意があってこうなっている訳ではなく、この時代の社会構造による、常に死がすぐ隣にある貧困に逃げ場のなさを感じてどんよりした。

身分ある者の恋愛ひとつが、一般人には致命的な大火傷になる構図、これは身分差とワンセットである。王族が絡むなどは童話の昔からの定番とも言える。しかしここまで子を無視するのは驚いた。

絵の表現が出色の素晴らしさだ。

例えば「夜、眠りにつく」だけが描かれているページがある。地位ある者達の、紗の掛かったような優しい線で、パジャマに着替えて家族にキスして綺麗なベッドに横たわり微笑む就眠。一方、ざらっとした線で全体に影の強い絵柄で、貧しい娼婦たちが固い木箱に横になったり並んで座ったまま、当然コートを着込んで寒いベンチでうとうとするだけ。

これらが台詞なく、絵だけが交互に描かれている。線のタッチのコントラストと温度差が異様で、尋常ではない世界がここに描かれている事に怖くなった。ここで描かれている貧富の差は、単なる金銭的なものにとどまらず人間の尊厳を容赦なく打ち砕くレベルだ。そして貧しい人々は、裕福な側からは不可視化されている。

初登場時のウィリアムは、亡くなったばかりの父親にいたずらしたり(瞼を開かせたり閉じたり程度)草むらのネズミの死骸を解剖したりする子として描写されていた。ここはぎりぎり、子どもにはあり得る範囲だな、というのと、将来「そう言えば幼い頃から……」と思い出されるレベルのボーダーだなと感じた。……が、直後この時点で16歳と判明し、私の中でボーダー前者が消えた。周囲の大人たちの会話だけが見えている音で、本人の発話は無く手元の動き(ネズミ云々とか)が淡々と進行するコマが交互に続く、ここも静かに不穏さのあるシーンだった。

フリーメイソン加入あたりはまだ、少々エキセントリック寄りだけれども優秀な博士なのだなと思えたものの、女王から直々に爵位と命令を受けてから暴走が加速してゆくように感じられた。

圧巻なのが第四章「王は汝に何を求めたるや?」ウィリアムは地図を手に、御者ネトリーに命じてロンドン中を移動しまくる。道中ずっと歴史と独自解釈の講義が止まらない。内容は、ニコラス・ホークスムア(やはりフリーメイソンメンバーであった歴史的建築家・故人)の建てた建造物群の歴史と込められた信念、更にウィリアムの思考は拡大し、そこから

・男性性、太陽神、五芒星、オベリスク、理性、左脳

・女性性、月、無意識、右脳

の対比を、それらを関連付けながらロンドン、そして世界の定められた運命は、物語は既に

……石に刻まれているのだ。

と結論づける。

彼の語る信念は固い信仰のようであり、決して変わることのない運命論のようで、私には全てを理解する事は難しかった。

彼は医師であり、家庭人でもあり、常に他者と関わる日々を送っているにも関わらず、彼のこの大講義からは人間に対する温かみが感じられないのも強烈な印象として忘れられない。

一日馬車を駆り移動したルートを、ウィリアムは御者ネトリーに地図上に線で再現させる。そこに現れたのは五芒星で、つまりウィリアムこの日を本人なりの儀式に費やした事になる。ヘビーな話に付き合わされたのもあり、途中具合の悪くなってしまったネトリーはそれでも頑張って一日中馬車を御し切った。しかしやっと移動も終わりと思えたのに、地図上に得体の知れない儀式の痕跡を描かされ

「嫌だ! んなこたあ聞きたくねえ! あっしには関係ねえ、太陽とか月とか!(略)」

外に逃げるも追いかけられ講義は続き、耐え切れずその場で吐いてしまう。気の毒の極みである。

娼婦四人組をひとりひとり手に掛けてゆく過程にも、暴走の加速は見て取れた。最初のひとりであるポリー(メアリー・ニコルズ)の時には方法に拘り最低限で、地面には出血がさほど溢れていない状態で発見された。やり方がとても儀式的であった。それが人数を経るごとに少しずつ変化し、上巻最後の第八章では息を荒げ興奮しながら執拗に刃物をふるい、辺り一面血の海でウィリアム本人にも夥しい返り血があり、挙げ句の果てに傍らにいたネトリーにやんわり止められてしまう。王家を守る、という目的から逸脱しつつある感じを強く受けた。

上巻は、この第八章で手に掛けた娼婦が実は人違いであったと判明するところで終わる。

途中、ウィリアムがヤー・ブル・オンを見たり、未来の都市を体感したりという妄想ともSFとも判断し難い場面があった。

【下巻】

あんなに理不尽に皆死んでいったのに、問題は動機でも犯人でもない。呆然としてしまう、そして動悸がする。読了後は頭の中が暴風雨、でも色彩はかなり乏しくて静かで寂しい。

あれだけの生命を生贄に、守られたのは体制と、ある程度の秩序だった。その秩序の為に、信念を構築し人生を捧げたウィリアムさえ最期はあの扱いだなんて虚しさが凄い。これさえ秩序の為の、安全な処理方法だという判断基準はどこにあるのか? 人間は過ぎ去るだけの不完全なパーツか何かなのか? でもその人間がいなければ体制も社会の秩序も信念も信仰さえ、意味を失うのに。作中に原作者の提示する答えは無かった。なので私なりに暴走気味ながら考えた。

作中に散りばめられたあれこれについて。

私はムーアの張った蜘蛛の巣の上で、分かったような顔をして捕らわれもがいているだけだった。読みながら気になった言葉をメモしまくっていて、一読後に調べながらその辺りを読み直す、って感じで読書感想にしてゆくのだけれど、今回はメモがとても多くて調べるのも時間が掛かった。

時間は掛かったのに、それら全ては「要するに血塗られた世紀そして20世紀」を表現する為のモチーフみたいな扱いだったりする。ひとつ残らず、それぞれで本になるポテンシャルのある贅沢すぎるモチーフだ。

例えば

・1888年8月、オーストリア北部ブラウナウのクララとアロイス夫妻の悪夢のエピソード

・ウィリアムの最初の事件の100年前、1788年のレンウィック・ウィリアムズ事件

・1963-65年にかけてのムーアズ殺人事件

・1975-1985年のピーター・サトクリフの事件

他にもとても沢山気になる言葉はあった。どれも調べ始めたら戻ってくるのがちょっと大変なくらい奥行きがある。これら重厚なモチーフに幻惑されつつ、私の中でウィリアムの生み出す重い重い歯車の軋みは大きくなっていった。確かに社会構造の中で押し付けられた責任であり、そこから導き出された事件ではある。それでもウィリアムという個人なしでは起こり得なかった、そう考えていた。途中までは。

「恐れるならわしが正気であることを恐れるがいい」

「恐れよ、自分たちが人の人たる瞬間、その重要性を見誤っていたのではないかと。恐れよ、我の中に、古き真実がついにあらわになったことを」

↑さらりと殺人を自白し、そして全く悪びれたりなどしないウィリアムの言葉。

快楽殺人とか、信仰の為の儀式とか、権威の為、欲望の為、そんな人間的理由が動機ならすっきり解決するし、犯人が確保されれば後はそれなりに安心なのに。全然終わらない、現代においても変わらず続く問題をウィリアムは語っていた。

作中でウィリアムは主人公として描かれてはいるけれど、あの時代の、あのほんの短期間しか保たない極めて不安定な社会の秩序こそが主人公だったのか? 感情移入は難しくても、ウィリアムの立場を考えると抗えない大きな力と時代の圧力のような物を感じてくらくらする。

ウィリアムの最期、神たちに見せられた「アイルランドの女性と4人の子どもたち」の幻視について。

私は、メアリー・ケリーと子どもたち、だと考えていて(←これは多分そうだとほぼ確信している)子どもたちの名前はかつてウィリアムに殺害された仲間たちと同じだ。

メアリーがあの夜に偶然タイミング良く、ロンドンから逃げおおせたのか? (その場合、殺害されたのは別人←ジュリア? と言う事になる)確かに幾ばくかのお金を手にしていたし、もう会えないという手紙も自然な流れだ。生きていないはずの時間帯に複数人からの目撃情報もあり、メアリー逃走成功を最初は考えた。

しかし頬に理由不明な傷描写があり、また時間的にギリギリ無理な気がしてならないので(事件当時すでに妊娠中だったと仮定しても、この幻視1904か1905年に4人、それも一番下の子が自力で歩行可能、この条件が揃うか? キツすぎる)もしかしたらこれは「いくつもの可能性の中の」あり得たひとつのメアリー像かも? と考え続けている。現実的逃走成功ルートであったならば、作品として子に「ジュリア」もいただろうなという想像もある。

ウィリアムがメアリー(と信じていた)殺害中に起こった、既に故人となった人々との再会や会話、講師として聴講者を前に解剖をしている瞬間、そして現代のオフィスと目まぐるしく変化する幻視のような体験は、作中何度も出てきた「第四の次元とは何か?」なのかなと考えた。過去から未来に向かう一本の流れる時間、ではなく、全ての可能性が同時にそこにある状態というか、ちょっと量子的な感じというか。

神がウィリアムにこれを見せた理由が気になっている。神からしたら、唯一の正解のようなものは無くて、従ってウィリアムの固い信念こそが真実って訳ではない、こんなのもあり、全部あり、そんな感じなのかな。神だからな。

この幻視をラストに、ウィリアムの意識は再度真っ白な天へ上昇し、

わたしは

ついに

成る

神に

そして

それから……

この直後、現実世界でウィリアムは真っ暗な部屋の、じめっと冷たいレンガの壁にくずれるように凭れて事切れてしまう。これっぽっちも幸せそうな表情ではなく、虚ろで少し辛そうにも見える。すぐ側に看護婦(原作まま)と雑役夫はいたが、彼らは濃厚コミュニケーションに忙しくて患者などに興味はない。ウィリアムは孤独で、愛情を持って見送ってくれる人もない。生前のウィリアムは全ての時間を超越した世界を垣間見る事もあったし、神の姿を幻視もした。神の力の一端に触れさせておいて、神々はウィリアムを最期の瞬間地上に戻しただの人間として終わらせたのだと戦慄した。

別可能性の子育てメアリーを見てこいとわざわざ促したり、天に引き上げておいてから落とすとか、その呵責ない無慈悲さは神らしいと思うし、でもそんな神であっても、彼なりに信じ彼なりにひたすら敬虔に生きたウィリアムは、紛う事なく犯罪者なのに純粋に感じられる。

この作品は犯人個人の事件、ってだけではなくて、人間の業というか、良くない方の普遍性が独特の解釈で描かれていた。

ウィリアムは自分自身の信念の生贄のように娼婦たちを手に掛けたけれども、加害者である彼自身も血にまみれた時代の幕開けの為に、時代に捧げられた贄のようだった。

輝ける栄光と光明ごときで、歴史を越えたなどと思うな。歴史の暗い根が汝らをのみこむ。汝らの中にあるものが(略)わしはそなたらの中にいる。いつもそなたらの中にいる!

↑ウィリアムの最後の殺人事件の、解体さなかでの警告のような台詞。眩しくて綺麗に整頓された広いオフィス(幻視)の真ん中で、両手を血まみれにしたウィリアムが絶望しながら叫ぶ、忘れられないシーンだ。私にはここが一番印象に残っている。

そなたらには魂がない。そなたらの中におると、わしは孤独だ

解体途中の身体を抱きしめる絵は宗教画のようだ。生と死の悲しく寂しい美がある。ウィリアムは神に求められた(と信ずる)儀式を真剣に行っただろうけれども、彼の願った世界の復権は叶わないのだと知り絶望したのだと思う。彼の望む形ではなくとも、それでも彼の儀式によって白く清潔で凄まじいまでの大量殺戮の新世紀が始まった。気がする。

プロローグとエピローグについて。

何の鳥の死骸だろう? と最初は判らなかったが、付録まで読んでカモメ(ガル)だったのかー……としんみりした。特に最後のひとコマ、誰もいない、何もない真っ暗な空と海の傍らにもう白骨化しつつある死骸がアップになっている絵は象徴的で素晴らしい。100年以上大勢が探し続けていた犯人は、真実も明らかにはならず、でももう間違い無く生きていない。それだけが事実なんだなって、ぽつんと理解できるシーンだった。

@mafuyu
読書感想にはネタバレあります