森博嗣 百年シリーズ『女王の百年密室』『迷宮百年の睡魔』『赤目姫の潮解』

真冬の海
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公開:2025/6/7

森作品はシリーズが密に繋がっているパターンが多いのでこの百年シリーズも一気に読んだ。3冊があまりにワンセットで、頭の中は絡まり合っていて1冊分ずつ分けて考えるのが難しかった。比較したり並べたりしながら3冊を行き来して感想としてまとめたい。勝手な形にしてしまい、大変申し訳ありません。

森作品はウォーカロンの時代が進むに従って、人間とウォーカロンの差は無い、になるがそこはとりあえず置いといて便宜上人間とウォーカロンを分けて表記する。

感想にはネタバレしかないのでご注意を。


まず物凄くざっくりとシリーズで何があったのか↓

『女王の百年密室』

ミチルとロイディの冒険譚/第一王子殺害事件(人間→ウォーカロン)/観察者デボウ(メグツシュカ=真賀田四季)がミチルとロイディの関係性に興味を抱く

『迷宮百年の睡魔』

ミチルとロイディの仕組まれた冒険譚/自己認識したウォーカロンの自死事件/メグツシュカが明確にミチルとロイディの有り様を知ろうとアプローチする/ヒントを得ようとする

『赤目姫の潮解』

上記2冊の時代を経たテクノロジーの集大成/作中に人間は出てこない、ウォーカロン視点でウォーカロン社会が語られる/それぞれ自己認識がありながらも、絶望し自死を考えるような描写は無い

別々に読むだけでは全体として何が起こったのか分かりにくいのではないかと思う。特に赤目姫。3冊は流れるようにひとつのテーマを扱っている。肉体は枷であると考えていた真賀田四季が、ウォーカロンを普及させ、その自死(これもかなりハイレベルだと思った)を経てやってのけた技術革新だと、赤目姫を読みながら震えるような感動を覚えた。Wシリーズでは人間とウォーカロンの差を論じるなど無意味な社会で、そこにこの百年シリーズは繋がっているのだなと思えた。まさに過渡期のブレイクスルーを目の当たりにしたような気分になった。たった3冊なのに森作品群の中で重要な意味を持つシリーズだなと思う。

女王の百年密室

プロローグでミチル視点だと知り泣きそうになった。すべてがFになるが好きなので、ミチルにはただただ生きていて欲しかったから。オリジナル道流の影響なのか、最初から最後までミチルの生に対する執着のなさが辛かった。そこはロイディとの掛け合いの温かさに救われた。

ジュラ王子殺害事件に関しては私の中の「森作品では当初から犯人は見えている」ルールに則り、デボウが最有力笑で次点でマイカ・ジュクだった。でもデボウってデボラだよなあ……AIにどんな動機があるのかなあ……かなり合理的で仕方のない理由なのかなあ……とかなり考えた。

  • 蓋を開けてみれば結局はこの上なく人間臭い、どうしようもない、嫉妬と独占欲と自分の場所を乗っ取られる事への恐怖・憤り、そして反撃してこないウォーカロンへの見下し等が動機のマイカ・ジュクだった。自己中心的でエゴイスティックな犯罪で、そしてとても手垢のついた古臭い、人間らしい負の感情が動機だった。これがシリーズ1冊目、女王〜の、人間→ウォーカロンという図式の犯罪だった。

  • ウォーカロン達は見た目は人間と変わらないものの多数はまだ指示を順守するだけで道具に過ぎない。デボウはミチルとロイディの関係のあり様に強く興味を抱いたように見えた。

デボウが興味を抱いた、サエバミチルとクジアキラとロイディの明かされた関係は凄かった。脳と身体は必ずしも一体でなくてはならない、いつの間にかこんな固定概念を私は持っていたのだなと知った。愛した人と文字通り一体になってしまうなんて、文字だけなら何だかロマンチックだけれどもこんなに悲しい事はない。ミチルの厭世観にはこういうところも影響していたのかなと思った。読んでいて寂しくてやるせなかった。

ラストミチルがぼろぼろで辛い気持ちになりはしたが、ミチルとのコミュニケーションを深める度にロイディは成長していてこれはとても良かった。

迷宮百年の睡魔

ミチルとロイディが思いもよらぬ幸運?でモン・ロゼ宮殿への訪問と取材が許可される。このエピソードを読み、これは完全に呼び出された形だし、なんなら女王百年〜のプロローグ衛星電波障害も当然わざとだったのかとようやく思い至った。そういえばマノキョーヤもそんな事言ってた……。

ウォーカロン2体の自死事件に関して、メグツシュカは密室や凶器や頭部の行方、また捜査の行方そのものにはさほど興味をしめしているように見えなかった。しかし自己認識を得るほどに高性能なウォーカロンが、あろうことか2体も自死してしまう事態はなんとかしなくてはならない課題である。ウォーカロンが自死を選ぶなんて……その知性に私は驚いたし、人間に近づけば近づくほどやはりそうなってしまうのか、という悲しい気持ちにもなった。

若王シャルルがミチル(見た目クジアキラ)に異常な執着を見せる。本来ウォーカロンは人間に対して害をなす行動を取ることは無いはずが、薬を盛り自由を奪う。これは一見前作のマイカ・ジュクの動機である「嫉妬、独占欲、排他欲」から発した行動と良く似ているように見える。

  • 王になるべく生活しているシャルルは多分、通常のウォーカロンよりも他者に寛容であったり、好意を感じやすくなっていたり、そんなチューニングがあったのかも知れなく、またずっと自分の言葉を受け入れようとしないミチル(クジアキラ)と落ち着いた状況での対話を求めるがあまりやりすぎてしまったのかも知れない、それら条件が良くない方に作用したのではと考えた。いずれにしろマイカ・ジュクと表出した行動は似た方向であっても、その動機は人間的負の感情ではなく、ウォーカロン的目的合理性に則ったものであると思う。これが2冊目、迷宮〜の、ウォーカロン→人間という図式の犯罪だった。似ていても動機は対照的に思う。

  • この「シャルル→ミチル(クジアキラ)拘束事件」が、メグツシュカがミチルとロイディの物理的関係の特別さに気が付くきっかけであり、そのあり様を詳しく知るに至る(クジマサヤマを褒め称えていた)。そして女王〜に続き、更にロイディが成長していてタフさを備え人間であるミチルとの垣根がますます低くなっているのを実感した。ウォーカロン自死事件のトリックそのものよりも、自己認識を得たウォーカロンが自死に至る問題を解決に導くヒントをメグツシュカは得ようとしていたように見えた。

作中でメグツシュカが自らミチルにコンタクトを取る様子が書かれていて驚いた。クジマサヤマ先生との間に「知ろうとしない・会わない」約束があったと記憶していたから。が、メグツシュカは完全イコール真賀田四季ではないし、ウォーカロンの進化により自己認識が生まれている世界でメグツシュカにも個の思考があるかも知れないし、なによりオリジナル全ての記憶を保持しているとは限らないという事なのかな……と納得する事にした。実はこの約束が私の真賀田四季好きの一部でもあったので(単に肉体という枷から解放されること……とか言いそうなあの天才が、あんな綱渡りな方法でそうまでして道流を残したかった感情にぐっと来た)仕方ないけどちょっと残念だった。

ラストは明るい雰囲気で、ミチルロイディが少しでも晴れやかな気持ちでいてくれたなら私も嬉しいよ……!と完全に見守り隊の気持ちになっていた。

赤目姫の潮解

幻想的な導入から軽やかに知的で楽しい会話、魅力的な登場人物たち、とても森作品らしい物語が始まった。風景を楽しみ、美味しい料理を味わい、友と思い出を語り合う、何の疑問も感じる事なく読み進めていた。見えていると思っていたの世界が目の前で突然変わったのは、語り手の意識が移動した瞬間だ。これはウォーカロン視点の物語だった。そしてこれ以降ウォーカロン達の意識は目まぐるしく入れ替わる。文章中にもウォーカロンらしさが随所に散りばめられ始める。見えている風景の一部が黒くなる現象や、波形を象り書かれる文章等。黒くなるのは処理落ちぽくあり、また描写する必要のない場合の省エネ的処理ぽくもある。

それまでの話から、赤目姫はウォーカロンなのかなと思っていたが、まさか篠芝、鮭川もウォーカロンとは驚いた。こんなにこまやかな情動、もう完全に人間だ……。

  • 様々な意識(ウォーカロンの人格)が様々な出来事に関わり、ウォーカロン社会は営みを続けてゆく。それまでは人間の模倣であったり、指示に従う道具のような行動であったのに今やウォーカロン達は思考し判断し、思いどおりにならない事柄にもタフに対応してゆくように成長していた。自己認識があっても絶望する事なく、希死念慮も見られない。真賀田四季は見事に人間とウォーカロンの壁を取り払えたように思えた。

読んでいてずっと感動しっぱなしだった。

ラストのエピソードでは、ガラスの温室内に一番最初のお茶会シーンが再現されてこれも非常に美しく感動的だった。ウォーカロンたちは観測する側・される側を互いに入れ替わりながら交流し、人間のいない世界で自らの存在意義を問い、選択し、生活していた。

Wシリーズでは実質人間とウォーカロンの境界が曖昧になり、区別をする事は無意味な世界になっている。道具としてのウォーカロンからWシリーズに至る、この百年シリーズはまさに過渡期の大きな転換点であったと思う。とても面白かったし非常に感動的だった。

何となく、そのうち読もう……と思いながら未読であった百年シリーズを読む事ができて本っ当に良かった! 予想を遥かに超える感動で、まだ頭の中で熱いぐるぐるが止まらない。今回この本を選んでくださり感謝するばかり。読書会の皆さまいつもありがとうございます!

@mafuyu
読書感想にはネタバレあります