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寺山修司『少女詩集』

真冬の海
·
公開:2026/5/3

感想文には一部引用があります


まず冒頭のひと言できっと誰もが撃ち抜かれる。そのまま素敵な詩集だな、寺山修司の光サイドを満喫だなーって本当にふわふわした気分で前半を味わっていた。……が、半分を過ぎたあたりからいつもの寺山修司が私の心を圧し始めた。こ、これは重い……生きるということの綺麗ばかりじゃない部分を目の前で切り開いてただ「こうなんだよ」って顔で次々に置いてゆく。少女が大人になる切なさ悲しさ、だなんてとても陳腐だけれども、少年が大人になるのもその陳腐さを抱えているのだと知った。そして大人になったからと言って何かが変わる訳ではなく、大人の中の少女は少女で残っているし経験が増える悲しみが積み重なってゆくのかなと思えた。

『海のアドリブ』

海の絵ばかりを描いている画家が自ら描いた海に身投げしてしまう

『波の音』

海の音だけを毎日欠かさず録音している女性が自ら録音した波の音に身投げしてしまう

『アクセス(3)』一部引用

どんな詩人が

自分の書いた海で

泳ぐことができるというのだろう

↑絵も音も海になり得るのに対して、言葉にはその力が無いと言わんばかりだなと驚いた。この「言葉の無力さ」のようなものはこの後の詩にも感じられた↓

『けむり』一部引用

「言葉で」何ができるのか?(いやできない) 次々に言葉のみでは達成の難しそうな事があげられてゆく。そして最後段落が下がり唐突に

私は

悲しくなると

けむりを見ている

↑これでこの詩は終わる。この瞬間見えた気がしたのは、目を細め眼前の『けむり』を見るともなしに眺める寺山修司の姿だった。『けむり』それはきっと紫煙で、無力な言葉を吐く代わりに煙草で口を塞いでしまうのだと想像した。悲しいからと言って子どものように泣くことのかなわない大人に許された感情表現のように感じられて切なくて胸に突き刺さった。

例えるなら剃刀の刃に似た美しい切れ味で、人生や感情を切り出してその断面を見せてくれる(と私は感じている)寺山修司の言葉なのに、本人はその言葉の無力さを感じているのだと衝撃を受けた。実際そうであったからこそ彼は言葉以外の表現方法にも長けていた訳ではあるけれど。

詩集全体としては恋や愛情(友情)を詠んだ作品が多い。そしてひとつ残らずある種の悲しみが潜んでいる。それは、夢や理想通りにいかない現実、孤独、壊れること、離れること、失うことなどだ。

1ページ目から順に成長(人間、恋、愛などそれぞれ)してゆくような流れで、最後に近づくにつれて愛が傷ついたり壊れたり修理が必要になったりする。その過程もいわゆる詩的で美しい装飾がオブラートの役割を果たすなど皆無で、メタファーが逆に強烈な生々しさを想像させる。

『肩』一部引用

肩は男の水平線である

だが もう鳥などは発たすな!

さらば 友よ

空と海、空と地の境界である水平線や地平線も頻出する。人と人の接するところ、その関係を表現している場面が描かれているように感じられる。男女であったり親子であったり、そしてこの↑引用では友との友情関係を表していると思う。水上から飛び立つ鳥のイメージは旅立ちであり、文面からはそれが喜ばしいものではないのだと察せられる。青い空を切り裂く羽ばたきの音の鮮やかなイメージがとても印象的で、やはり寂しい。

『よってたかって はないちもんめ』一部引用

はるがしんだら

どこにうめればいいのでしょう

↑この詩集の一番最後の作品はこう始まる。少女と少年から始まり、さまざまな感情を経験し傷つき汚れて、奪い合い壊れたりなおしたり失ったりした果てに、そんな嵐のような青春時代が静かになってゆく。読んでいて翻弄されまくった私は、突然こんな風に放り出されてしばし茫然としてしまった。

なんて美しく激しい詩集なのだろう。読み終えてもどきどきが止まらない感じだ。

@mafuyu
読書感想にはネタバレあります