何度もこの概念について考えている。
展示会(主に東京ビッグサイト)のブームは、最近は「ローコード」「生成AI」だ。ローコードという言葉の概念は技術者向けにしか”解放”されておらず非常に残念に思う。内輪で盛り上がっているに過ぎない。
ローコードの概念は古くはクラス・ライブラリであり、MS-DOS👉Windows95の様な複雑なOSに変化する過程で生まれた概念を元祖にしていると思われる。これを突破するツールがOOPと呼ばれるオブジェクト思考だったのだが、これが当時は凄まじく難しくてそれを体現するツールに出会うまでは理解不能だった。これがソフトウェアの世界ではクラスライブラリという形で実現し、最近ではPythonを中心にして数行の関数を呼び出すだけでやりたい事が出来るという凄まじい状態になっている。(OCRは2行、機械学習は5行、PDFの表示は2行で書ける)
これでも十分に凄いと思っていたのだが、更に凄いのはハードウェアの世界である。Raspberry PiはLinuxマシンにも関わらず2万円以下で動く。そしてRaspberry Pi PicoやArdiunoになるとOSすらもないマイコンなのだがこれが千円程度で買える。はんだ付けの世界を思い浮かべる人が多いが今のマイコンは、はんだ付けは要らない。少し前ならば10台のカメラをPCで見る装置などは数百万円?の相場になる専用システムだったのに、今やPCを除けば数万円で実現できる時代になった。マイコンのプログラミングはアセンブラかCだった筈だ。今や、Ardiuno IDEのCはPython並に単純で、Micro PythonのPythonはローコードそのものだ。
この流れを知らないのは本当に勿体ない。勉強しよう。