某ライブ観劇感想

折角見に行ったので感想を。といいつつ、前半部分は公演に行く前に書いている。

一応留保の類として、かるみっくすとは雑談ベースでコンセプトについて話したり、12月の公演も映像で見てたりしてたので、フラッと見に来た客よりはちょっと準備ができてる人の目線になるのと、自分が普段プロモーションや戦略立案、番組企画辺りを本業で扱ってるので、そういう視点からのコメントが多くなります、という話をさきにことわっておきます。あと一応検索避けで主催のコンビ名を○○と置き換えておきます。

■はじめに

色々書くけど、まずは第一に、面白かったです。新しいフォーマットはチャレンジすること自体にめちゃくちゃ価値があるし、見てる側も勉強になる。お疲れ様でした!!

■12月公演の感想

思い出しがてら、当時のツイートを引っ張り出して来ながら書く。当時は深夜に勝手に、全然誰かに見せるとかそういうの考えずに呟いてたのだが…(上はツイート原文、↑以下は今書いてる補足です)

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なんか見てる感じフックたくさん作りにいってるネタが続くから前半そんなにおもろくなくなるのは勿体ないなー、後半の回収の仕方次第だと思うけど

↑「する/される」「意識/無意識」みたいな、後ろの断罪パートで回収する用の用語を含んだかけあいにどうしてもフォーマットが寄らざるを得なくなるから、笑いの幅が狭くなって演者側の負荷が大きくなる宿命だなという感想

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2本目の漫才とかは、言語意味を正確に追うとこんなにキモくなるという話をネタ混ぜながら演じたうえで、表現論とか構造論的な話に落とし込んでいくのかなーと思ったが、3本目は割とネタに言葉塗したのを拾うだけで終わっちゃったなー

結構今のだとネタにフックとなるワードを仕込んで連想ゲーム的な拾い上げ方して済ませている感があり、まだブラッシュアップできそう

↑同上。僕は二人の言葉遊びを活かしたかけあいが好きなので見る分にはいいんですけど、どうしても「使用する単語を指定された論述問題」チックな構成の漫才になってるところはあり、あんまり漫才の中身の面白さとリンクしてない、ただ言葉遊びが面白いだけという感じはあった(3本目への感想)。

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2本目後半の畳みかけめっちゃいいな、こういうのこういうの!!!!!!

フリップ芸で変化付けて最後再現コントで違うタイプの笑い取りつつ「おかしさ」を分かりやすく示して後ろで回収させやすくしてるのめっちゃいいな~~~~~~

↑上に書いた理由から2本目はめっちゃ好きだった。

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えー、最後のこういう実践を2本目のネタでやって回収するのが一番バランス良いのに~~~~

↑かるみっくすにDMで真意を咎められたので当時のDMを再掲する。

(2本目は特に断罪されなかったのだが)挨拶の字義的な解釈を詰めたうえでそれを正しいコミュニケーションと定義するとこんな事故会話になりますよー、みたいな事例を2本目の漫才の後半でやってたわけじゃん。それって断罪コーナーの最後で意識という言葉を使わずにネタやってたのと同じ構図やろ、今回のだとやってみた~でオチになってるけど、やったうえで、やっぱり結局こういう詰め方すると~っていう何かしらの発見を分析する方が面白いなぁと思っており、その分析担当が断罪する側なのではという

今だと基礎知識を断罪する側が叩き込んでおしまいになってるから、センセイが講義しに来たくらいのテイストにしかなってない側面はあり

漫才で面白おかしく誇張するところまでをやってしまったうえで、結局「言ってた理論って突き詰めるとああなっちゃうっていうのが僕らの理解なんですけど、それであってます?」みたいな問いに院生がちげーからってツッコむのはフォーマットとして成立するんちゃう?という感覚

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見終わった、勉強になったなー。公演で展開したいキモの構造がブレてる感じはあったが、ポテンシャルは結構ありそうなフォーマットやなー。

「大学のつまらん授業を面白く見せる装置みたいに使う」活用法と、「漫才という公演の中で客と漫才師が笑い有りきで雑に扱っている表現を専門家が断罪して直すとどうキモくなるのか」という実験は結構ベクトル別で混ぜるとクオリティ落ちそうだとは思った

↑キモの構造がブレてるというのは、上の方にチラっと書いてるけど、エセインテリによる漫才をホンモノが断罪スルというより、ただホンモノが講義しに来た話を助手のTAが客視点で漫才で再現する、という形で話の引き立て役になってます、みたいな構図になっているので、あんまりタイトルとはあってないなという意図。

下のツイートも、かるみっくすにDMで真意を咎められたので当時のDMを再掲する。

○○がそれっぽいけどヘンな事をやって、モノホンが斬りつつ理解を深めさせるフォーマットは内容次第だが拡張性はあるかもしれない、が、拡張していくと「院生の講演会がおもんないから掴みとしてテーマに近い話題の漫才をやってそこから喋っていきつつ漫才師側が適宜突っ込んで場を盛り上げますよー」みたいな感じの雰囲気に落ち着いてしまうリスクがあるのは勿体ないなぁと思った

「院生~ますよー」でもいいんだが、講義有りきで漫才オマケになっちゃうから。

まー実はそっちの方が○○側に要求されるハードルがかなり下がるので(講義内容に合わせたネタ作ってあとはMC力発揮すればいいだけなので)長続きするとは思うんだけどね

この辺は○○側が何を目的にしてるかみたいなところある。バラエティMCやりたいのかお笑いで笑わせたいのかみたいな2択を強いてる感あり。

まあでも一般的な用語理解と専門的な解釈が違う点をフックにするのは良いと思うけどね~~~

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この公演フォーマット、聞く側が正確な意味理解を流して雰囲気で読み取って笑ってる雑な構造を断罪スルという意味で、漫才師よりも客側を断罪してるんちゃうか?そこを指摘して正すとコミュニケーションとして成立しなくなることを指摘して皮肉るのが一番おもろいのでは?

↑これは今読み返すと2本目の挨拶ネタが自分にとって刺さりが良かったのでかなりバイアスかかった分析だなと反省。別に一番おもしろい訳ではないし、第四の壁を超える系の(メタフィクションの)笑いは一発限りな気がするので、このフォーマットが続いた時の1回分のスパイスとして使うくらいがちょうど良さそう。

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当時のツイートを引っ張り出してきての感想は上の感じ。色々書いたけど、大前提として、こういう新しいフォーマットを作るのはめちゃくちゃいい取り組みだしそのチャレンジ精神にめちゃくちゃスゲーと思ってます!!!!いや、ほんとに。

コンセプトと実際の内容にやや乖離があった部分については、もうちょっと詰められるといいなー、今のままだと院生の講義のアシスタントみたいになっちゃうよー、という部分は思ったので、その辺りはかるみっくすに感想を伝えたりしました。

■2月講演感想

行ってきましたー。まずは何より人が多い。単独の主催ライブでたくさん人を集めることができるのは、(高校同期との絆とかそういうのも含めて)主催企画者の過去の努力や人徳の積み重ねの結果だよなーと思いました。中高時代から校内に限らず外でもライブをやったり活動している経験や実績って、本当に希少で他に代えがたい価値のあるものだと僕は思ってるので、流石だな―すごいなーと。

で、12月公演へのコメントと比較しながら書いていくと、

・ネタについて:3本とも面白かった(1本は12月もやってた記憶だけど)。前回場をあっためる用で使ったネタをチューンナップして今回のメインテーマに据えるという形式は、継続的に見に来るファンを作りやすいという意味では面白いかも(別に偶然そうなっただけで"形式"にしたわけではない気もするが、温め用のネタでドラマの次回予告的な使い方ができるのは客視点だと興味を惹くかも)。前説も含めて二人の能力高いなーーーと感心してた。

・講義パートについて:講義内容自体は面白かった。中動という考え方は普通に教養として参考になった。起きた事象に対する結果責任だけをシンプルに問うのが古き中動の考えで、それだけでは掬い切れない情状酌量という例外状況に対応するために、法学においては「意志と責任(事件発生時の意志というよりは、その前段の行為を企図した際の予見可能性を基にした意志の推定)」による軽重を付け始めた、という流れなのでは?と、素人ながら聞いてて思ったが。

笑いが起きづらいパートではあるが、I君のボケで場を温め続けた部分が非常に良かった。反面、このパートはどうしてもコンビ側(そして主にボケ担当)の雛壇芸人力に依存してしまう宿命にある事も感じ取った。

改善点を挙げるとすると、様々講義して最早スタート地点が分からなくなった後、査読コンセプトに強引に回帰して、「能動受動は法学上の概念で、ネタはプライベートなんだから、中動で書きなさい」が修正コメントです、は流石に雑な持って行き方過ぎるというか、コンセプトが噛み合ってない部分がモロに出たというか…

・リバイズ版のネタについて:最初のネタを中動表現に言い換えるだけかと思いきや、講義のホワイトボードを使った発展形のネタに昇華させたのは驚きだった。前回が講義内容を愚直にやる形だったので、今回も言い換えるのかなーと思っており、いい意味で裏切られた。他方、ネタの中身については、講義内に出てきた表現や面白かった流れを総集編のように引っ張ってきて、最後はTHE MANZAIという言葉遊びで拾うような帰着になっており、普通に面白いので笑えるんだが、講義パートの学びが活きてるかと言われると疑問符が。というか、12月の時にも書いたが、このフォーマットが(或いはネタ執筆者が?)どうしても言葉遊びでネタを作る方に偏ってしまいがちで、別にみている分には面白いからいいんだが、講義パートを(内容面で)踏まえた感じにはどうしてもなりづらいよなー、と感じる。

査読審査→引用ないんでリジェクトです、は、その落とし方したら毎回それ指摘して終わってしまうやん!みたいなところがあり、このフォーマットを継続してやるのであればそういう理由は使わない方が良かったのでは…という風には思った。

・コンセプトについて:あんまり中身と噛み合ってなかった。12月より噛み合ってないかも。12月は、エセインテリが知った被って厳密じゃない言葉を漫才で使う→プロがそこを指摘する、という流れだったので「断罪スル」要素があったのだが、今回は「○○がネタをやり、そのネタの中の言葉にひっかけて教授が講義をし、それを受けてネタを作り直す」という、査読要素が薄すぎる構成になっていた。そもそも真ん中が講義パートの段階で査読というか院生の授業じゃん、みたいな節はあり、この辺が多分相性が悪いのかも。査読というのなら漫才の内容を審査すべきで、例えば相席食堂的なフォーマットで、ネタを再度冒頭からやらせて、途中で止めて、そこについて指摘+講義をし…みたいな形で1周し、最後に総評という名の修正指示を出し、それを受けて修正したネタを出し、判定、みたいな感じの方が良かったかなー。途中で出てきたカツアゲの表現とか、ああいうのをネタの中の実際の掛け合いに準拠させたりとか、中盤以降の法学ネタも、Y君の弁護士就職という掴みに対応させてネタの中に入れるとか。元のネタ自体が割と言葉尻を付け替えて遊ぶような方向だったので、多分話の繋ぎは自由度高いはずで、だからこそ講義内容をなぞらせた方が後ろの講義パートもすんなり入って来たんじゃないかなーとは思った。元のネタに対して、講義パートの薬物依存症の事例とか、話の距離が遠すぎたので。

どうしても講義パートが講義講義しちゃう分、フォーマットやコンセプトでいかに客への親しみやすさや興味関心を惹いて納得させられるかが大きなファクタになるので、この辺りは引き続きブラッシュアップがいりそう。

帰りの電車で自分ならどうするかを考えていたが、上に書いたような相席食堂フォーマットにするのと、もうちょっと指摘側の人数を増やして、各分野でコメントを付けさせるようにするかなーとは思った。1テーマを擦り続けると流石に冗長になるので。これを上手いバランスで落とし込んでいるのが卑近な例だと脱力タイムズで、専門家4人呼んでニュースと称した何かを斬らせている。

例えば、前説後に審査員(院生?)を2人呼んで、では今から査読に入ります、とそれっぽいフリを入れてからネタを2本やり、1審査員が1ネタづつ、20分くらいでコメント(講義要素10分、相席食堂VTR的にネタを再演させたりコンビ側が講義にツッコんだりするので10分くらい)付け、最後にリバイズ版を再演して、判定(ここは指摘内容が直ったか、だけの判断でいいし、例えば観客一人一人を論文の最終審査員という設定にあらかじめしておいて、リバイズ版が面白かったか否かを手を上げて貰ってアクセプトにするか決める、みたいな形でも別に良さそう。ここの採否はフォーマットの継続性に影響を与えない認識)みたいな構成に自分だったらするかなー、とは。アカデミックな観点から専門家がコメントを付ける、という部分が企画のキモなので、そういう意味では論文査読という表現はかなりいいところを突いているなと思いつつ、もうちょっと内側のコンセプト部分をチューニングしたほうがいいかなーという感想は持ちました。

■色々書いたけど

やっぱりコンビの実力高くて良いな~~~って思いました。いつか一緒に仕事してぇーーー。次回公演が楽しみです!!!皆さんお疲れ様でした!!!!!(次回は差し入れもっとちゃんとしたの買っていきます)

@magicren
週報とか雑記とか