長い文章を書く余裕なく下書きのnoteが溜まっていく。しばらくここの存在も忘れていた。時間は日々目まぐるしく過ぎ去っていく。過ぎ去るのだ。
けど今日はここの存在を思い出したので日記を書いてみる。
数年ぶりに会う小学生の頃からの友達と3人で遊んだ。私以外の2人は地元に残っていて、1人は結婚して子供が2人、今日は卒園式だった。
友達Aは車で家まで迎えにきてくれた。最後に会った時から車が変わっていた。ランチを予約してくれていたお店に向かう。
道中、会っていなかった間の友達の話を聞いた。同棲していた恋人と別れ、新たな恋人は私のパートナーと同じ県に住んでいるという。
私が鮮やかなブルーのロングコートを着てSEVENTEENの公演から戻ってきた日、友達は私らしき人を空港で見かけたと言った。友達は恋人に会いに、私と同じ日に同じ県に行っていたという。調べると同便に乗っていたらしい。世間は狭すぎる。
空港にや新幹線が止まる駅に行くまでにも2時間ほどかかる、車がないと生活が難しい私の地元は海外はもとより東京という場所も縁遠い。
「一人で新幹線に乗るのも飛行機に乗るのも怖かった私が恋人のおかげでもう一人でも遠くへ行ける。」と語る友達の横顔に、私が幸せな気持ちになった。愛は人を新たな世界へ連れていく。
お店は細い山道を抜けた先にある、秘密基地のような場所だった。梅林に囲まれた穏やかな風が吹いていた。今日は晴れていて暖かいのになぜか花粉が気にならない。
今日来るまで全く存在を知らなかったお店は25周年らしく、プレゼントが当たる記念キャンペーンにアンケートを書いた。住所欄に実家を記したのは、プレゼントが当たった時に贈られる時期には私がもう今住んでる街にはいないからだった。
美味しいランチを食べてお会計を済ませると「店先のミモザどうぞご自由に持って帰ってください」と言われた。店先には"かめ"にいっぱいの黄色いミモザが陽に照らされていた。
友達Bから「卒園式終わったよ」の連絡、Aの車でBの家に向かった。
家に着いたらティアラのようなキラキラのカチューシャをつけた卒園式のおめかしのままのBの子どもと、何年ぶりに会うかわからないBの夫が出迎えた。
Bの子どもは数年会わない間に本当に大きくなっていて、私のことはもう全く覚えていなかった。子どもにとっての数年はとても大きい。
Bが散歩から帰宅して数年ぶりの再会。卒園式帰りの正装のワンピースに、親としての節目が友達に今あることと、自分が卒園した日の母の姿が重なった。
Bの子どもは学習机とランドセルを得意げに笑って私たちに見せた。来月から、私たち友達3人が出会った母校の小学校に通う。
おしゃべりをしたり、Bの子どもも含めてみんなでUNOをしながら、小学生の頃毎週のようにお互いの家で遊んでいた記憶を思い出した。Bが子どもを世話する姿は、あの頃家に行くたびに快く迎え入れてくれたBの母親のように見えた。
ふとAの顔を見る。茶色にパーマのロングヘアーに、Aの母親の姿が重なった。歳を重ね、なんだか私たちみんなあの頃見ていた親に似てきたようだった。
私たちもう30だね、あっという間だね、という話のなか、Bは夫とともに子育てに奮闘し、Aも恋人との結婚を考えているという。
私はというと、この夏から海外に留学するつもりだと言った。
私がその頃から持っていたデザイナーという夢に一筋だった小学生の頃も、地元を出る時も、なにかを始めるときも、しだいに2人との距離感が変わっていっても、私自身が変わっていても、いつも無条件に話を聞いてくれて労いと応援をくれる友達だった。
地元での暮らしと今の私は環境的にはかなり遠いところにあるのかもしれない。細かな言動には内心(それアウト発言)とツッコミが生まれたりもするが、それはそれなのである。人生を見合って応援し合っている3人でしかできない話に、久しぶりに感じる心のあたたかさがあった。
大人になってできる友達はおのずと趣味や嗜好などが近い人になる。大人になってからの友達の方が圧倒的に関係が続いている人が多い。けれど、包括的にその人自身を好きになっていくことはおおいにあるとしても最初のきっかけは「要素的」なものかもしれない。好きに理由がつくもの。
小学校という限られた場所性のなかで育まれた切っても切り離せないような時間が育んだ友情は、「相手の人生をそのままに、無条件に幸せになってほしい」という思いを抱かせる。あの2人にはずっとそれぞれが思うかたちで幸せでいてほしいと思っているし、2人も同じように思ってくれているんだろう安心感のようなものがある。
私が環境も考え方も見た目も、何もかもがどんどん変わっていっても、変わらない根幹を思い出させるふるさとのような存在。
そんな、ともに・別々に歩んだ人生の時間をかけがえのないものだと思えるような、過ぎ去る日々を去らずに振り返らせるような、そんな再会だった。
小学生のあの日のように、夕飯時の18:30、みんなでバイバイまたねと手を振ってわかれた。