退職して4年以上経つ前職の人が、私の住んでる街に用があるので会わないかと連絡をもらい、約1年半ぶりに会った。相談にのってほしいということで話を聞く。私がいた頃よりもさらに会社の腐敗は進んでいて、私がいた頃に勤めていたせめてもの良心だと思える人はもう誰一人いないようだった。
けれどその中でまだ会社に残っている、一回り以上歳上の彼女とたまにやりとりをし愚痴を聞きながら、辞めて結構な時間が経つのに“あの頃の人“ではなくこうやって関係が続いていることがなんだか不思議だ。
前職ではそのクソみたいな会社のなかでも仲のいい面々が集い、登山部を結成していた。共に山に登っていたメンバーは今はもう誰もその会社にいないらしい。LINEグループも私が辞めた2019年から止まったままだ。あの登山部はきっともう二度と“ない”んだと、話を聞きながらぼんやりと考えていた。
諸行は無常である。
タイ料理を食べ話し足りず喫茶店に移動し気づけば夕方だった。時間の経過とともに、明日が仕事というせまりくる現実からなのか彼女の表情が少しずつ曇っていくようにみえた。
なんだかここで解散ではちょっとだけ物足りない気もして、彼女の悩みの手助けになるかもしれない本を選びに、最後に本屋に寄った。私は私でジュンさんが表紙のGINGERをようやく書店で手に取ることができほくほくしながら「予約数に貢献するために予約で1冊買って、こっちは書店で買いたかったので2冊目です!」と言うと、彼女は「ドン引き」と笑っていた。
その本屋に行くのは久しぶりで、ポイントカード用のアプリを開くと数年前に欲しいとマークしていた本の入荷通知が来ていた。
亡くなった友人が生前、私に宛てた手紙に引用していた小説だった。
慌てて本棚から探し出し雑誌と一緒に買った。積読がまた増えそうだ。
欲しいものもなんでもコントロールできてしまう便利なアプリという存在の恩恵を受けながらもそんなシステマチックになった世界を虚しいと常々憎んでいたのに、今日ばかりは忘れかけていたその本の存在に気づかされたことに礼を言わねばならない。文明よありがとう。
去り際の彼女は笑顔だった。「また!」と言ったけど次に会えるのは一体いつになるのだろうか。
本屋からそのまま移動して、久しぶりに世話になっている古着屋に行った。いつぶりだろうか、1年ぶりくらいかもしれない。
オーナーの彼は私を見るなり「おおー!」と驚きに声を上げ、スタッフの彼女は抱きついてきた。今日誕生日だったらしく「今日会えたのが余計に嬉しい!」と喜んでくれた。新しく入ったスタッフの彼ともはじめましての挨拶後すぐに打ち解けて、和やかな談笑の時間が続いた。いつもふざけた話と尖った話でワイワイするが今日オーナーはこの店のことを「内臓系」と表現していて、なんだか私はそれが気に入ってしばらくはしゃいでいた。
試着してみた乗馬用のトレンチコートがあまりにもかっこよかった。彼女が「これ着た瞬間表情がめっちゃ明るくなった!」と言ったのでふと鏡を見ると、いつからか服にも興味を示さなくなっていた自分の表情が確かに晴れやかに映っていた。
予算を大幅にオーバーしたものの、久しぶりにこんな気持ちになる服との出会いとこの古着屋の人情にやっぱり特別なものを感じて買った。
このトレンチコートをfollowに着ていく自分の姿を想像する。
服を買うのはLOVE以来、なんと今年に入って2着目である。現場のタイミングでしか服を買っていないといえばそうだし、けれども現場がなかったら服を買うこともなかったかもしれないことを思う。
有限かつ少ないお金をどうやりくりするかは毎月の悩みの種だがたまにはSEVENTEEN以外の、経費以外のものを自分のために買ってあげてもいいじゃないか。でもその動機が今はやっぱりSEVENTEENなのである。
去り際にさっき書店で買ったGINGERを見せると「その布教力はオタクというよりプロデューサーか?」と言われた。紅白に出ることを話題に出してくれ、”私がSEVENTEENをめちゃくちゃ好きであること“がこんなに身の回りの人たちに覚えられていることもなんだかありがたかった。
鮮美透涼。
さっき買った2冊目のGINGER、ジュンさんに冠された四字熟語を見る。
きっと中国語にはない言葉をジュンさんはどう受け取ったのだろう。
ウィバースを見ると日本へ向けて出発する飛行機での自撮りが次々に上がっていた。SEVENTEENと過ごす冬が始まろうとしている。