スタンディングで、初めてヤジを受けた。
5月3日、地元で開催されたスタンディングでのことだった。私は3回目の参加だった。スタンディングは、全体でのコールと、希望者がひとりづつスピーチをする形式になっている。
ヤジは、一人の男性(に見えた)からだった。参加者が集まっている場所から少し離れたところで、大きな声をあげていた。私は少し距離があり、雨も降っていたので、その男性が何を言っていたかは聞き取れないが、乱暴な口調で、スタンディングに対する敵意があるのは明らかだった。スタンディングに参加されていた男性(に見えた)が対応し、ヤジをとばしたその男性は去っていったため、掴みかかるだとか、怪我をするようなトラブルになることはなかった。
私は男性の怒鳴り声に委縮してしまうので、自分個人に向けられた言葉じゃなくても、怖い、と感じた。それまでヤジを受けることはなかったので、油断というか……ここは安心して、みんなで気持ちを共有できる場所だという認識が、揺らいだことへのショックもあるのかもしれない。一人で遭遇したらどうしよう、一人で何かアクションすることは避けたい、と思うような出来事だった。
スタンディングが終わった後、当然、そのヤジについての話題が出る。
「うるさいだとか皆迷惑してるだとか、しょうもないことを言って騒いでいた」
「ああいう人はいるから、放っておくのが良いよ、相手するだけ無駄」
そういった意見だったと記憶している。勿論、そうした意見を否定したいわけではない。スタンディングに対するヤジは、起こる可能性が高いものだし、事前の心構えとして、そのような気持ちのありようは必要だと思う。スタンディングは違法な行為でもなく、間違ったことだとも思わない。
でも、違和感というか、それらをすべて、そうですよね馬鹿馬鹿しいですよね、と鵜呑みにするには、自分の中に危うさがあるなと感じた。
私個人の性格としてヤジという行為にある、大声、乱暴な言葉遣いという要素が恐ろしいものであっても、慣れればくだらない、とやりすごせるようになるのだろう。でもそれは、私がスタンディングをしている=ヤジをとばす人間にとって気にくわないことをしている、それ以外はマジョリティの立場にいるからかもしれない。
不当な差別を受けている人にとっては、ヤジ=馬鹿げた批判、ではなく、ヘイト、命の危険を感じるような言葉である場合は高いだろう。ヘイトスピーチに関する本を読み、実際に発された言葉が記されてあったが、本当にぞっとする…心身の安全を脅かされるようなものばかりだ。でも、私がヤジに慣れてしまったら…そうした状況を経験した人に対してでも、「あんな人たち、気にしない方が良いよ」と、無神経な「冷笑」をしてしまいそうだ…という危うさを自覚した。
ヤジに毅然と立ち向かいたい。けれど、誰かの苦しみや受けた被害を踏みにじるような「慣れ」はしたくないと、改めて思う。
どこまでも危うい人間であることを、忘れずにいたい。