肉食を止めたい思った。きっかけは、環境問題・フェミニズムと肉食(畜産)とのつながりを知ったことだ。文鳥、オカメインコと生活しているが、その横で鶏肉を食べることの違和感を抱き続けていたこともある。(スナウラ・テイラーの荷を引く獣たちを読み、止めたい、が決定的になった)
ちょうど仕事が1週間の夏期休暇に入り、肉・魚を食べずに生活してみることに決めた。動物性のものは摂取しているため(調味料、サプリメント、お菓子)、厳密に禁じられてはいないが、1週間の菜食は想像より辛くはなかった。どうしても食べたい、という飢えもないし、肉を食べないと疲れて動けない、ということもなかった。私の場合は料理もそうこだわらず、ある程度の期間は同じものを食べ続けても平気な人間なので、ほぼラタトゥイユで済ませた。
とはいえ仕事が始まると、菜食のみの生活は難しい。残業続きで弁当を準備する余裕もなく、会社で注文できる弁当がコンビニよりも安くて助かるが、ヴィーガン対応メニューはない。人との付き合いもある。自分の主義はこうだと、こういう考えだと言えたらいいけど、相手の食べたいものを食べてほしい(一緒に食べたい)気持ちもあるし、所謂面倒な奴…のように言われるのもな…と尻込みしてしまう…のは…ダメだな…とわかってはいながら…。なので、フレキシタリアンという言葉を知って救われた。完璧(な菜食)でなくても、自分の中にある価値観が揺らぐという意味ではきっとないし。
そう、完璧じゃなくても、まずは自分のペースや続けられる範囲の努力を大切にしたい。毎日社会の状況を知ろうと能動的になりたいものの、難しい時もある。私は大体そうだ。時間の使い方が下手とも言うけれど、仕事や生活、自分のことでせいいっぱいになると余裕がない。だからせめて、日常の中に小さなアクションを取り入れておきたい。日常で使うものであったり(パレスチナオリーブさんで石鹸を購入しているが、すっきりするのにつっぱらず、私の肌にはすごく良い)、食事であったり。世界とのつながりを忘れないために。