浅いスピリチュアルで「同情は傲慢な感情」みたいなことを書かれることあるけど
はたして本当にそうだろうか?
それって0/100ではなくて程度モンダイじゃないかな〜と思う。
同情心って言い換えれば「悲しみや痛み、辛さへの共感」じゃないですか。我が身のことのように感じる思いやり。
同情心が1mmもなく、淡々と理性的に「はあ、お辛いですよね、応援してます」と社交辞令いうのと、一緒になって悲しんでくれるのでは天と地ほどの違いがある。
可哀想だと憐れむことだって悪じゃない。優劣感情をもちこんで「見下すな!」と勝手に被害者意識を爆発させるのは自分の問題。
人が精神的に弱っている時、役に立たなくていいからただ寄り添ってほしいときがある。同情心がカケラもない人は寄り添うことができない(退屈でしかないから)
もちろん、同情心が溢れるあまり、自分の未消化問題と混同してブチキレたり、パニック状態で過干渉になるのも良くないけどね。
少しでも同情したら軽薄とか傲慢とかいうのは極論だし、それを言ってる自分に酔って目がくもってるパターンが多い。「同情するなら金をくれ!」のフレーズにうけたショックを延々引きずってるというか。
一般論を僅かにアレンジした「一般論+α」に目ウロコしすぎて、ボロンと目ん玉までとれて節穴になってないか?
それこそ新事実!世の真理!と思い込んで、考えることを止めてないか?
小学〜中学時代に覚えた思考のプチアレンジを、馬鹿の一つ覚えみたく有り難がって固定観念をにぎりしめると、どんどん頭でっかちになっていく。
他人への思いやりを忘れ、慈悲を忘れ。それは我が身にはねかえってくる。
思いやりに条件や資格、評価基準をもちだすようになれば、思いやりを出し惜しむ。
その矛先は自分にも向けられるからね。
他人にも自分にもどんどんキツくなって、頑なになって、それをクールで格好いいと錯覚してしまう。