教皇選挙

よみや ぽこ
·
公開:2025/4/7

映画「教皇選挙」(Conclave)が面白かった

ネタバレってほどのネタバレ無い気がするけど…と思って書き続けてたら結構色々ネタバレしてしまった

一応なんか線を引いておきます


2025/04/04に映画館に見に行った

私は映画館が苦手である

お金を払って、座ってじっとして、知らない話を見せられ、しかも話についていかなければならない、かなりつらい

つらい思いをしてお金を貰えるならまだしも、お金を払っているのだ、つらい

私は普段は可能な限り日本語字幕をつけてテレビを見ている、聴覚からの情報の処理が苦手な人間である

流れてる言葉が日本語だろうが外国語だろうが、字幕が日本語のほうが向いてるのかもしれない

たまに映画見るときも日本の映画ばっかり見てるから、この歳になって気づいた

あとはじめて行った映画館だったんだけど、予告がほぼ無くて、映画の予告編を見るのがめちゃくちゃ苦痛な人間なので急に予告が無い世界を見せられてバグった

全然関係ない話が長い


以下中身の感想

おじさんを見分ける能力がなさすぎて、北野武の『首』の13倍の労力を使った、もうおじさんのわからなさに関しては120分ずっと「助けてくれ」という気持ちで見ていた

主人公の上の名前しか覚えられなかった

トマス

以上

あと一応インノケンティウスも覚えてる(インノケンティウスじゃないほうの名前は覚えてない)

中盤くらいで、主人公のおじさんと、主人公のおじさんの友達のおじさんの髪の毛の量が全然違うということに自分で気づいて、ものすごく助かった

普段他人を見分けるときに、欠点とみなされがちな外見の特徴を私は意識的にか無意識なのかわからないけど見逃している気がする

他人「Aさんているじゃん」

私「……?」

他人「あの、ちょっと【任意の外見の特徴】な人」

私「(Aさんて【特徴】だっけ…?)」

という感じで、言われても思い出せないことがある(※Aさん自体が完全にわからないときもある)

なにはともあれ、主人公の友達のおじさんがハゲていることは私にとって60分見逃すようなことらしい

まあ外見に興味がない、といえばそれまでだけど

立場によって服の色もなんかちょっと違うらしい、ネットで見たけどマジで全然気づかなかった

ネット見たら主人公のおじさんのことがローレンスと書かれていて、ローレンスだったかもしれねェ…(ナルトス)くらいの感じだ

そのような理解力のわりにモチーフとシンボルを見ていたせいで、中盤あたりで終盤の展開が、なんとなく、うっすら、わかってしまった

わかったという確信よりは、脳の隅に疑念として浮かんできてしまった

疑念と信仰はセットである、というか、セットでなければそれはカルト組織とか反社会的組織だと思う

そういう意味で、確信ではなかった、というか確信ではない見方をしていた

主人公のおじさんの上の名前がどうやらトマスらしい、しかも「祈り」に対して何らかの重い感情を抱いているらしい、

じゃあ私も「疑う」をやろう♫(腕組み後方トマス面)という感じで見てた

幸い、フーダニットのミステリ的な感じで話が進むので案外そのスタンスは120分飽きずに続けていられた

トマスの話をします

聖書において、トマスという名前を聞いたら、やはりイエスの弟子にいるトマスだと思う

トマスの出番の中でいちばん有名なシーン(?)といえば、やはり脇腹だろう

いやもう他人は知らんけど私の中ではトマスと言ったら脇腹くらいの感じなのだよ(マジカルバナナ)

ヨハネによる福音書 20:24-29 新共同訳

[24] 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 [25] そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」

[26] さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 [27] それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 [28] トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。

[29] イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

どこからどこまで説明したらいいんだ?

イエスが十字架で死んで、3日後に復活して、騒ぎになってる中で、十字架刑のときに釘を差された手の傷と、そのあと死亡確認のために槍で脇腹を刺された傷を見せてくれたらしいのね

でもまあトマスという弟子は自分の目で見て触って確かめないと信じないと言うわけ

是非とかじゃなくて、自分の目で見たものしか信じない系の人って今もいるよね、まあトマスはそれだったわけです、まあ人間が生き返ったら普通はそう

そしたら弟子たちで集まってたときにイエスが現れて挨拶をしたのね、「あなたがたに平和があるように」てのは挨拶です、ヘブライ語でシャローム(シャーローム)の意味は平和、だから挨拶が「平和!🤗」なわけよこの人たち

日本語の「今日は!」「今晩は!」も変さでいえばあんまり変わんないか

そして挨拶を済ませたイエスはトマスに、指を当ててイエスの手を見るように、手を伸ばして脇腹に入れるように言いました

そうして、トマスは信じましたとさ

…で、終わらず、イエスは余計なことを言っている(※イエスはわりと余計なことを言う)

「私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである。」

ここだけ聖書協会共同訳も引用しました

この場面を描いた絵画は色々あるけど、カラヴァッジョの絵がいちばん有名だと思う

『聖トマスの不信』

引用した聖書箇所をよく読んでほしい

別にトマスは手を入れろと言われてマジで手をイエスの脇腹に入れたとは書いてない

なんかよくわからないけど絵ではマジで手を脇腹の傷に入れていることが多い

まあマジで入れたほうが絵としては映える、それはそう

私もこのシーンの絵好きだし、出会って5秒で弟子が先生の脇腹に手を入れていたら萌える

でもこの文脈からしたら入れてないんじゃね?みたいな気もする

書いていないことはわからない!

まあいいや 何が言いたかったんだっけ

とにかくトマスってのは(少なくとも私の中では)「疑念」の象徴なのと、

あとこの脇腹エピソードが載ってるのは福音書が4つある中で「ヨハネによる福音書」だけにあるエピソードである

なんかよく覚えてないんだけど、トマス(ローレンスのほう)って、「え?教皇になったら名乗る名前決めた?笑」みたいなオタクのペンネーム決めるみたいなノリの会話で「ヨハネ」って言ってなかったっけ?違ったらすみません

そういうわけで、ずっと色んな人や色んな描写を疑って見ていたんだけど、それってこの隔離されたコンクラーベでのトマスの役割なんだよね

そりゃまあ聖書の疑い屋さんの名前つけられてるからね、この『教皇選挙』という物語のなかでそういう宿命なんだよ

ごめんここ公開時からの追記!!フォロワー天才!?!?て思ったからどうしても書く!!!!!!帰天おじさん(前教皇)の枕元の壁に手突っ込んであの書類見つけるの、脇腹やん!!!!やったー!脇腹だーッ(落ち着け)

私はいつのあたりでなんとなくオチの疑念が出てきたんだろう〜〜?

まあ色々状況が厳しめの国にいたとしてもわざわざ外国に治療に行く?ていうのも一応あったけど、

亀とか見てて思ったのかな〜…?と思う

亀は、聖書には出てこない

普通にそれが書かれた頃にその場所に亀という生き物がいなかったんだと思う

聖書には「想定されてない」存在や事象が全然ある

聖書、とくに旧約聖書には、掟が書かれている、イスラエルの民族たちへの掟

十戒とかは有名だし10個しかないけど、他にももうこれでもかと規定が書かれている

基本的には禁止とか強制(?)が多い気がする、数えてないけど、まあそりゃそうか、学校の校則とかも制服はこのように着こなすのが望ましいとかの推奨の10倍くらい禁止が書いてあるもんな

その中に一応いわゆる近親姦や同性愛や異性装を禁じる記述もある

近親姦は親を犯すなとか父のきょうだいを犯すなとか母のきょうだいを犯すなとか延々と書いてあって、読んでると「すごい」という気持ちになる

Wikipediaでは表になってる(日本語版も表になってる)

そしてこれらの規定は、基本的には家父長に向けて書かれている

「女と寝るように男と寝てはならない」とは書いてあるけど、女は女と寝てはいけないとは書いてない

聖書は男性中心主義社会において書かれ、女性同性愛者の存在を想定しておらず、女性同性愛を禁じていない

(まあ色々ケチつけて書いてあると言ってる派閥もあるけど、それはもう思想の後出しジャンケンみたいなもので、基本的にはたぶん言ってない)

生理中の女を犯すなとかは書いてあるのに

そういうわけで、特定の社会で書かれたらどうなるかというと、特定の人たちが得をするようにできてるんですわな

それはまあいいんだけどさ、勝手に得してなよ

そんなことより亀の話ですよ

聖書は、爬虫類が嫌いです、なんでか知らんけど爬虫類のことが嫌い

まあ蛇が元凶というか創世記においてエデンの園で暮らしてたアダムとエバをそそのかしたので、神(YHWH)にアダムとエバと蛇はバカクソ怒られて呪われてるから、蛇はまあ…物語として残当かも…みたいなところはある

創世記 3:14 新共同訳

[14] 主なる神は、蛇に向かって言われた。 「このようなことをしたお前は あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で 呪われるものとなった。 お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。

いくら元凶だからって自分が6日で作った世界の動物にブチギレでワロタ

そういうわけで、旧約聖書において汚れたものの項目にも、爬虫類にあたるような動物たちを並べている

レビ記 11:29-31 新共同訳

[29] 地上を這う爬虫類は汚れている。もぐらねずみ、とびねずみ、とげ尾とかげの類、 [30] やもり、大とかげ、とかげ、くすりとかげ、カメレオン。 [31] 以上は爬虫類の中で汚れたものであり、その死骸に触れる者はすべて夕方まで汚れる。

かわいいのにね爬虫類

で、亀っていないの、地を這ってるけど、聖書に汚れとして書かれてないの亀は

シンプルにこれ書いた人は亀を見たことがないんだと思う

神は亀も作ったと思うんだけど、これ書いてるのはまあ人間だと思うんだけど、亀を知らない人なんだと思う、いや紀元前の亀の生息状況なんか知らんけど

※公開時からの追記

ごめんさすがにレビ記が紀元前の具体的にいつどこで書かれたかは知らなすぎるけど、いやでも紀元前のいつかのエジプトのシナイ半島?とかだと“信じられている”(聖書には書いてある)けど、普通に紀元前のイスラエルにも亀いたっぽい しかもガリラヤ(ナザレのイエスがいちばん宗教者として活躍した場所)の洞窟に遺跡の記録?があるっぽい

もう何もわからんくなってきた、でも蛇とか他の爬虫類とは違う扱いではあった可能性があるから書いてないのかも

さすがに「紀元前」の幅が広すぎるし、そのときのエジプトとイスラエルの信仰まではわからなすぎる、メソポタミア・エジプト・ギリシャの神話とかゾロアスター教とかのレベルまで遡らなきゃいけない、無理です

※追記終わり

ちなみに、植物は種からできるという想定で書かれてるから、根菜?とかも想定されてない たぶん

詳しくは聖書と「じゃがいも」について英語で調べてほしい

聖書にじゃがいもって書いてないから、じゃがいもという植物がヨーロッパに伝来してきたとき、これは食べていいのか???みたいな感じになったらしい たぶん

「教皇選挙」という物語において、亀ってその象徴なんだと思う、私はね

その時代のその場所の社会の人たちが、想定してなくても、既にいるんだわ、昔から今に至るまで

それは亀だろうがレズビアンだろうが子宮を持って男性として生まれてきた人だろうが、現状としているし、それも含めて自然(Nature)なんですわ

だからあの若いおじさんの名乗った名前インノケンティウスだったんだと思うよ、たぶんInnocentからきてる単語だよね?

OPの映像って黄色の字で書かれてたと思うんだけど、アルファベットの「I」だけが白い字で書かれてたと思う たぶん……

キリスト教絵画だとユダは黄色で描かれがち

ウチら今日から亀のこと無視しよ!亀とか知らないもん!などと言われても、ソスカ…と思います、そんなことを言われても…亀はいるので……

全部含めて、神はこの世界を作ったんだろうがよ〜!と私は思ってます

創世記 1:31 新共同訳

[31] 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。

極めて良かったって言ってるよ神も

青いソファの映画館みたいな謎の密室が最後に使われるシーンで、インノケンティウスになる若いおじさん(ごめんネタとかじゃなくてマジで名前覚えてないんだよ、なんかみんなローレンスより覚えづらい名前だったし)が自分の思いの丈を喋るシーンで、

何言ってたかいまいち覚えてないんだけど、あのシーン、たぶん密室なのに、背景に光が十字の形で入ってるんだよね

神が見ているぞ〜!今ここに臨在しているぞ〜!というのをビシバシ感じました

私わりとこの手の表現には触れているので、わかりやいのかわかりにくいのか謎です

3人の修練女がパタパタ楽しそうに走ってくのは白い煙なんだと思う

福音書においてイエスが生まれてやってくる東方の博士たちのオマージュと、新しい時代が来ることの示唆でもあるかも?とも思った

ちなみにクリスマス劇とかでもやる東方の博士たちは別に3人とは聖書には書いてないからな、これ豆知識ね

はい、そんな感じです


世界が「曖昧」であること

「教皇選挙」という作品は、面白かった

(神が作った)世界が曖昧であることに耐える

耐えるっていうとなんか我慢みたいだけど、とりあえず亀をそのまま生かしておく、私も生かしてもらえている、

という姿勢において、素晴らしい作品であったと思う

そして(残念なことに私は予想がついてしまったが…😔)観客の私たちが脇腹に手をブチ込まされるというのはとても良かった

見て信じるとか見ないで信じるとか「幸い」とかのことはさすがに深くまではわからんけど(深くわかっていたら私は今すぐ聖職者か神学者になっている、マジで)

まあ、私たちが「教皇選挙」を見て、世界の曖昧さに耐えて疑って信じることは、良いことなんじゃないですか?と思います

世界と根比べってわけ!\ドッ!ワハハ!/

ただ、物語のカタルシスのスカッと感とは両立しづらいテーマなので、難しいね!とも思った

これ私が予想ついてなかったら一応スカッとはしてたかもね😭

めちゃくちゃ面白かったけど!

それって世界が、宇宙が、社会が、人類が、難しいってことと一緒だからね、スカッとするわけないじゃないか

アメリカ国民のまあまあの人数は、様々な理由があるにせよスカッとしたかったから選挙で選んだ大統領があんな感じなんだろうし(これを書いている2025/04/07夜現在)

な〜〜〜にがスカッとジャパンじゃ

この社会にスカッとすることなんかひとつもないんじゃ、溜飲なんか下げられないんじゃ

あるならそれは、フィクションやファンタジーで、誰かを悪者にして勝手に溜飲を下げてるんじゃ

プロレスを見るときの私は、疑って信じてを繰り返しています

何が本当なのか?何が嘘なのか?何が都合が良いのか?それは誰にとって都合が良いのか?最終的に誰がどのような得をするのか?

プロレス者の世界の見方ってかなりかわいそうかもしれません

別にプロレス者に限った話ではないけどもね

「キリスト者(Christian)」という呼び名と「プロレス者」という呼び名は、私は好きです、もともと蔑称なので

そんな感じのことを日々思って、

色んなことを疑って暮らしています♫

同時に信じてもいるけどね♫

終わり!

@maisondepoco
いろいろ書きますが、有益なことは書きません、大したことは書きません 感想レターくれたらうれしいな お題箱でもかまいません odaibako.net/u/bokuno_subetesa その他リトリン参照 lit.link/maisondepoco