家庭の事情であまり幼い時分の写真が残っていない
家庭の事情というとなんだか過酷な響きだが、そもそもあまり写真を撮らない家庭だったのと、母親が結構なADHD気質で現像に行かずにインスタントカメラやフィルムをなくしたり、現像した写真やネガごとなくしたりしていて、シンプルに「無い」だけの話
ちなみに母子手帳も無いし、通知表とかも数枚しか現存してない
(一応もう一つ無い要因が考えられるのだけど、結局無いことに変わりはないのと話が長くなるので割愛)
母子手帳や通知表は発達障害の診断の際に必要になったりもするんだけど、「親がなくした」というケースはあるあるだったりするのだろうか
というわけで私の通知表に「わすれものに気をつけましょう」などと書かれていたかどうかはよくわからない 私も体育以外は成績が良かったことしか覚えてない
そんなしょぼい家庭で育ったが、珍しく4歳の写真が現存している
幼稚園でお誕生日会をしたらしい

◯◯◯ちゃん おたんじょうび おめでとう
えほんが だいすきな ◯◯◯ちゃん いつも たくさんの ほんを よんで おはなしいっぱい おぼえたね
『おおきくなったら キティちゃんになりたいです。』
何もかも変わってなさすぎる
4歳の私へ
キティちゃんにはなれてないけど、人生を這いずって絵本というか漫画は描いたりすらしているよ 本や漫画も色々読んでるよ よかったね
ちなみに左端だと思います ガキの頃から顔のパーツがデカい
この貴重なおたんじょうびカードが現存しているおかげで、私がキティちゃんになりたかったという事実は家族も覚えているらしい、記録って大事だ(記録がなさすぎる家庭より)
4歳の私がなりたかったキティちゃんってどんな感じをイメージしていたのだろう
もしキティちゃんになれたらどんなことがうれしかったのだろう
一応…今でも頑張ればなれるかもしれない…多摩センとかで…かなりプロフェッショナルな仕事だと思う…でもたぶんそのなりたいではなさそう…4歳だし…
人間はだいたい4歳くらいに自我ができて、他人も他人なりに世界の認識をして考えて動いている存在なのだということがわかるらしい サリーとアンの課題とかもわかるようになるらしい(自閉傾向があると難しいらしい) 哲学の授業でそんな感じの映像見た
まあでも私はなんとなく好きだから好きな存在になりたい、同化したい、みたいな感じだったんじゃないかと思う
今の私は「ボーイズラブ」になりたい、逆にみんなはボーイズラブになりたくないのか?
別に男装してBLの演劇をやりたいとかは無く、性自認が男性の人間として男性と恋をしたいとかも無い(今後絶対しないということはないと思うが、少なくとも私の中でこれらは何かを妥協した叶え方ではある)
キティちゃんになりたいが、多摩センで働きたいわけではないのと同じ
正直まだ「キティちゃん」にもなりたい
好きな概念があって、憧れなのかなんなのか、とにかくそれになりたいし手に入れたいのだと思う
4歳から続いているその願望・欲望が単純なものなのかどうかは知らない
とりあえず、キティちゃんのグッズを身に着けたり、自分でボーイズラブをせこせこ描いて、なんとか生きている
感想レターというものがあるらしいです↓
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