タイトルは長門有希(涼宮ハルヒの憂鬱)のキャラソンを思い出しながらつけた
ここのところ1日1食〜2食で暮らしている
お腹は空く感じはあるのだが、食べたい気持ちが無いので、食べられない
最近は経腸栄養剤のイノラスを飲んだり、元気があればプロテインを飲んだりもしている
7割くらいはオートミールを水に浸してレンジでチンして、もしくはパックごはんをチンして、納豆か生卵をあたりで食べている
簡単な調理の中でインスタントラーメンという素晴らしい食事があるが、最近は作っても食べるのに長い時間がかかって、クタクタの麺を疲弊しながら食べている
酒も美味しく感じられなくてショックを受け続けている
家でゴロゴロしてた日によく飲むビールテイスト発泡酒500mlを飲んで美味しくなくて時間かけて飲みきったのもショックだったが
先日「今日はちょっと頑張ったな」と思った日にファミレスでビールを頼んだらそれすら美味しく感じられなくて、「頑張った日のビールが美味しくない」ことがあまりにもショックで以降酒を口にしていない、生中1杯と小さなメニューを食べてすごすごと帰った
2024/04/07(月)、たまたま行った商店街の八百屋で筍と蕨を買った
本当にステレオタイプみたいな八百屋で、私の脳内には今キテレツ大百科のブタゴリラがいるが、あんな感じだった
それの規模を少し大きくしたような八百屋で、働いてる人が3人くらいいて繁盛していた、この時代にシャッター商店街ではない時点で、幸運な商店街なのだと思う
「糠ある?」と聞かれ、「糠無い!」と言ったらビニール袋に入った米糠をくれた、筍を灰汁抜きするには米糠がいることを忘れていた
蕨もよく考えたら灰汁抜きに重曹がいるので商店街のドラッグストアで重曹も買って、あと家族のLINEで購入報告をしたら煮物を勧められたのでみりんを買った
ドラッグストアはチェーン店で、みりんをスキャンしたときに年齢確認の音声が出たので、レジのおばさまに「ああそうか、私は本みりん買ったんですね…」と言ったら「そうなのよ、小学生がおつかいに来ても売ってあげれないのよね〜」と言われた、難儀な時代だ
野菜を買ったのはものすごく久しぶりだった
コンビニやドラッグストアにあるような、袋に入った千切りキャベツのサラダも買えない、見かけても買おうという気が起きない、そもそもカゴに食べ物を入れること自体がつらい
なぜ千切りキャベツも買えないのに筍と蕨を買ったかというと
健康だった頃の私は季節物がものすごく好きで、買ったら調理を頑張れて食べられるかもしれない、と思ったのだった
あとその日はちょっと疲れからか躁状態だった
春のものは特に好きだった、蕗の薹、筍、蕨、蕗、土筆、菜の花、エトセトラ
もちろん春キャベツや新玉ねぎや新じゃがいもなども好きだが、山のものは特に春でないと手に入らないものが多いし、私はどうやら美味しさの中に苦みという味覚のある春の食べ物が好きっぽい(こう書くとオトナっぽい感じがする)
あと八百屋の良いものだし、軽い躁状態で「このチャンスを逃すな」みたいな気持ちになっていたのだと思う
重曹と本みりんはそのままでは食べられないのであまりつらくなく買えた
そして私は何を思ったのか、筍と蕨や重曹や本みりんを含めた諸々レジ袋のまま部屋に常温で置いていた
おそらく、野菜を買うこと自体が久々だったのと、八百屋では常温で販売されていたので、脳がそうなってしまったのだと思う
案の定私は体調が悪いので調理せず放置してしまった
完全に義務感として筍と蕨は私の部屋に存在していた
昨日(2025/04/15)の夜、あまりにも寒かったので暖房をつけた
2025/04/16の今日、そろそろさすがにヤバいかな…と思って袋を開けたら、蕨は変な匂いの汁を出していたのでさすがにやばそうと思って悲しみながらビニール袋に入れて縛って捨てた
暖房をつけなければ食べられてたかもしれないと思うと悲しかった、そもそも冷蔵庫に入れろ
筍も少量の変な匂いの汁があったが、私は「いける」と判断した
完全に義務感で茹でた
とりあえず半分を刺身にして食べた
ちなみに筍の刺身は本当は今日掘ったくらい新鮮なのは生で食べられるらしい
実家の近所に住んでいて私と妹をかわいがってくれたじいさん(ド田舎のことなので遠い親戚の可能性も大いにあるが、おそらくは赤の他人)が、よく春になると自分の山に筍を掘りに連れて行ってくれた
山では水辺で遊んだ気もするししいたけも採らせてくれた気もする
筍を掘るというのは結構難しい、大別すると、獣に勝って若くて美味しいのを見つけること、土を掘り根元から分離すること、の大変さに分けられる
実際に家でその日に掘ってきた生の筍の刺身を食べたかもしれないし食べてないかもしれない、覚えてない、筍は茹で処理どころかリアルガチ未処理の生で食べると当日でも結構えぐみがあるらしく、えぐすぎたらさすがに覚えている気がするので、わからない…
まあとにかく茹でた筍の刺身は美味しかった、写真は無い
私の料理は人に振る舞うのでも雑なのに自分で自分に作った料理は雑というレベルを超えており、写真を撮るのが大嫌いだ
でも美味しかった、放置の末にちょっと色が悪い部分もあったけど自分で食べるなら全然いけた
私の中での「料理」の話
料理は私の中では2種類脳にある
①生きるための加工調理(食べなきゃ死ぬし、加熱せずに食べたらヤバいものもあるし、加工したほうが栄養やえぐみが云々みたいなものもある、灰汁抜きなどもこれ)
②精神的満足のための料理
今回の筍は主に②が目的であった(灰汁抜きでシュウ酸などを抜くのは①だが)
チキンラーメンはそのままかじってもわりといけるが、ベビースターラーメンくらいを想定するとかなりしょっぱいのと、普通に調理したほうが美味しい
(※ある時期、私にはしたたかに酔うと塩気欲しさに家でチキンラーメンをかじってから寝る癖があり、起きると枕元にかじりかけのチキラーがあったりした)
①と②は完全に独立したものではないのだと思う
②の料理は私の苦手な「ご自愛」に含まれる行為である
自分が食べたいという気持ちが勝って②の料理をするのは嫌いではないのだが、メンタリティは恐らくこの現代日本社会でスパイスカレーや蕎麦や燻製あたりにハマるような人(主に男性)のそれに近い
しかもこの②の料理というのは、私の生活の中で絵や漫画を描く生活とは絶対に両立しないので、原稿期間中はまず不可能になるし、めったにやらない
使ってる脳の部分が似てるのだと思う
あと私の脳では分量がきちんとしているタイプのお菓子作りは②にはならないので、私は②の目的でお菓子作りをすることは非常に少ない、歳を重ねるごとにお菓子に量より質を求める身体になってしまって余計に作れなくなった
私が②で作るものに、モツ煮がある
冬にものすごく暇な日があるとモツ煮を作るのが好きだった
そのため、まれに得意料理を聞かれた際には「得意料理は無いがすごく暇な日にモツ煮を作るのが好き」と答える
モツ煮は時間だけはかかるが手間はそんなにかからないしたくさん作っても安く済むので良い
あと半分の筍は何にして食べようかなあ〜…
蕨をだめにしてしまったのでいっぺんに煮物にできなくなってしまった
あ〜あ、蕨食べたかったなあ(食べられるかはさておき、好きな食べ物ではあるので)
買い直してもまた放置してしまいそうで、食べ物を粗末にするのが嫌いなので迷う
だめそうな蕨も灰汁抜きしたらいけないかな?と今になって思ったが、ググった結果、ゴミ箱から拾い直して灰汁抜き処理するのはやめておこうと思った
筍オンリーで煮物にするとしたら家に鰹節が無いから買わないと物足りないかなあ
食べ物のこと考えるのつらいなあ、自分が食べる食べ物のこと考えるのは、ご自愛だからかなあ…
つらいのに食べ物のことよく書きました
終わり!