かわいい人
長谷川白紙さんの「密の主」という曲が好きで最近ずっと聞いている。8月に出た「素直な気持ちアルバム」の真ん中に収録されてるこの曲は、今年一番好きになる予感がする。好きな歌に出会ってしまった時、180度ぐるんとひっくり返るくらい急に人生が楽しくなる。生きていてよかったとはっきりと思える出来事であり、そんなものが最近!新しく!生み出された!という事実は紛れもない希望。
この楽曲を聞いたときに私はなんとなく "うるせーバカ!と思いながら笑顔でピースして記念写真に納まっている感じ" という感想を持った。根っからの感覚人間だからこのようにして思考を掘り下げまとめることの練習をしているわけですが、この感想も感覚的なものなのでうまく説明はできなかった。だけど伝わる人には伝わるのではないか?とも少し思っている。
というのも長谷川氏のインタビューを読んでいた時に、バンドメンバーは「かわいい人」を選んでいると言っていた。ここでのかわいいとは、以下のインタビューを引用。
私、すごく社会化の圧を受けてきた人間なんですよ。社会化せよという圧。世の中にはフリーダムな方というか、なんの社会的な抑圧も受けず、「そんなものはくだらない、自分はやりたいようにやる」という方がいるじゃないですか。それはそれで素晴らしいとは思うんですけど、あんまり仲良くなれないことが多い。反対に、ものすごく社会化されてる方、すごく気が遣えたり、すべての条件をちょうど満たして目立たないように動いている方は、仲良くなれる。で、「かわいさ」の感覚ってそこなのではないかと最近思っているんです。つまり最大多数の解釈の範疇に収まることが「かわいさ」の正体なんじゃないかと。
~中略~
というのも、演奏が巧い人、正確に合わせてくれる人であれば、今の時代、探せばいるんですよ。何でもできてしまうようなスーパープレイヤーは。そうではなくて私が求めたのは、自分が持っている語法に関して、それが抑圧された語法であって、なおかつそれに誇りを抱いてそうな人。そういう方は演奏が「かわいい」ですね。自分が合わせることが音楽的に「かわいい」ことだと会得している方なので。その人たちに無茶なことを言うと「かわいい」結果が返ってくるはずだと思っているんです。私は。その基準でしか選んでいないです。
自分が楽曲に抱いている感覚的ななにかを言語化すると、まさにこれになのではと思ってびっくりした。
話が少し飛ぶ気はするがここ十数年の流れとしてある、ありのまま的カルチャーにのっかれなかった人間として、ここで話されている「かわいい」の基準を受けとった時に同意はもちろんのこと、少し明るい気持ちになった。私もここで話している「かわいい人」が好き。バンドとか演奏とか、そういうのに限った話ではないと思っていてだ。「かわいい人」と社会で一瞬目が合った時、お互いフフ・・・となってまたそれぞれの社会に戻っていくあの瞬間が「かわいい」とたまに意識している。なんだかまたこれも感覚的な話になってしまっているけど、とにかくかわいいのだ。あのかわいい一瞬が好きなのだ。
本題に戻る。"うるせーバカ!と思いながら笑顔でピースして記念写真に納まっている感じ"を個々にひも解くと、楽曲を聴いて同時にこんなことを感じていたのかも。
・笑顔→かわいくいます
・ピース→社会性をもち調和を大切にします
・写真に納まる→おりこうさんでいます
・うるせーバカ!→うるせーバカ!
これらを同時に思いながらあれこれ動作することをメチャかわい〜!と思ったし共感したから、こんなに響いたのかなと。後付けだけど解説できるように・・・なった!すごい。文章を書き始めて、初めて感覚を説明することができたかもしれない。感覚のままもかわいかなと思うけど(ここではまた違うかわいいの種類)、書き出して整理することの大切さを学べた!
思ったより長くなってしまったのでこの辺にしよう。
今、長谷川さんの色んなインタビューを読んでいて、色んなことを考えるきっかけをもらっている。本当は一緒の記事に書きたかったけど次は、音と記号と視覚と言葉、みたいな題材で思考をまとめてみたいなあ。
・・・
追記
ありのままの私をみてほしいのような話ではなく、私は自分がこうであれるように努めていることをかわいく思い、さらには気に入っています。