洗身と洗濯のプチ日本史 人はどのように清潔を保ったのか

まきはら
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公開:2024/5/26

歴史ものの時代背景を調べていると必ずと言っていいほどブチ当たるのが、「昔の人々の日常がわからない」という問題である。歴史上の相当インパクトの強い出来事と異なり、日常生活は史料に残りにくい。しかも地域や身分などによって同時代に於いても相当の差が出るため、様々な条件から推測するにだいたいこんな感じだったのではないかと想像するしかない面がある。中でも洋の東西を問わず頻繁に話題になるのが風呂とパンツだ。

風呂とパンツ、突き詰めれば「清潔の常識」の問題である。風呂も洗濯機もなかった時代、人類はどのようにして清潔を保ってきたのだろうか。

風呂≠洗身

まず大前提として、「風呂」と「洗身」は異なる。

うちには子猫から育てた15歳の老猫がいるが、迎えてこのかた風呂に入れたことは一度もない。だが猫は常にふかふかでいいにおいがしている。猫が自分で体を舐めて常に清潔を保っているからだ。これと同じことが人間の風呂と洗身の歴史にも当てはまる。

「風呂」ないし「入浴」の歴史を調べていくと、どうしても風呂という設備の話になってしまうため「昔の人は風呂に入っていなかった」「不潔では」で終わってしまうのだが、実際には「風呂」がなかっただけで、人類は文字も火も道具すらなかった先史時代から体を洗っている。まずは、風呂に入らなかった時代の人間がどうやって体の清潔を保っていたか、ざっくり見てみよう。

低コストな洗身、高コストな風呂

古代から近代まで、洗身自体はわりと低コストだった。水場が近ければ川や沢などから大量の水が得られ、川から遠い場所であっても井戸があれば水を使って体を流すことができた。洗浄剤は草木灰や米ぬかなどの廃品利用で、手ぬぐいや藁などを使って体をゴシゴシこすっていた。

一方、「風呂」は非常に高コストだった。風呂に入ろうと思えば、井戸か川から水を運んで風呂釜いっぱいに満たさないといけないし、大量の薪を燃やして湯を沸かす必要がある。その薪も誰かが木を切り倒して運んで割って乾かして……という手の込んだ工程を経るため、それに見合ったコストを支払う必要がある。都市部では銭湯に通うという手段が選べたが、それでも現代と比べれば面倒なものだった。

また、風呂に入る人間の側にも体力というコストが求められる。風呂の準備をするための体力、条件の悪い風呂釜に浸かることのできる身体状態、風呂上りに風邪をひかない程度の健康などが必要になる。特に冬場の入浴はヒートショックなど健康リスクも現代以上に高かった。

この洗身と洗濯を取り巻く状況が短い期間に激変した時代があった。昭和である。逆に言えば昭和より前の一般的な洗身と清潔は、古代から大した差がなかったと思われる。

大量消費で激変した昭和の清潔

昭和の63年間は、日本の歴史の中で最も生活様式と清潔意識が変化した時代である。

昭和初期から戦後しばらくまで一般の個人宅に風呂があるのはまだ珍しく、都市部では銭湯に通い、農村部では五右衛門風呂のような単純な風呂釜が設置され、数日おきに薪で沸かして入浴していた。洗濯の方法も古代からあまり変わらず、井戸端ないし川端で手洗いするか、大きいものは足で踏んで洗っていた。

昭和も半ばを過ぎてから清潔は急激に低コスト化した。正確には個人の手に渡る時点でのハードルが下がっているだけで、実際に使われる燃料の量や洗剤の量は跳ね上がっている。それでも風呂と洗濯が楽になったのにはいくつか要因がある。

★風呂の準備と洗濯の自動化

1950年代に入ると、ガスで風呂を沸かす「ガス釜」が都市部の一般家庭に普及し始める。ガスは薪や石炭を燃やすより手間がはるかに小さい。また同時期に洗濯機も普及し始めて洗濯の手間も減ったことで、入浴と洗濯の頻度が上がり始めた。戦争によって各所ボロボロだった水道設備が整備されたことも、入浴と洗濯を容易にした一因であろう。

★洗剤の大量生産

石鹸は明治ころから使われていたが、ガス釜の普及と連動するように1950年代にシャンプー、1960年代にリンスが登場した。また1950年代後半には洗濯機の普及に伴い合成洗濯洗剤が急速に普及する。使い勝手のいい強力な洗浄剤を大量に使えるようになったことで、入浴と洗濯がより簡単で手早く済むようになった。

★燃料の輸入

戦前から戦後すぐくらいまでの燃料の中心は薪だが、その土地に生えている木以上の量は取れない。毎日風呂を沸かすだけの薪を得るには限界がある。この限界を越えさせたのが燃料の輸入だ。石油・石炭・ガスなどを大量に輸入することで、資源の乏しい日本でもガンガンお湯を沸かせるようになった。

以上の、大量の洗浄剤と水と燃料を消費して体を洗える条件が出揃ったのは昭和の後半からで、ほんの数十年前。おじいちゃんやおばあちゃんの世代だと、子どもの頃は風呂なんて何日かお気にしか入らなかったのに、いつのまにか毎日入るようになって、髪も毎日洗うようになったという生活様式の激変をもろに食らってる人も多いだろう。ぜひお話を聞いてほしい。

なお、昭和の時代だと給湯器は簡易な瞬間湯沸かし器が多く、お湯を使う都度ガスで沸かすためかなり高コストで、風呂でシャワーを使ったり台所でお湯を使って洗い物をするのは結構なぜいたくだった。シャワーを使わず風呂釜から手桶でお湯を取る方が安上がりで、毎日お風呂には入るが洗髪は1日置きという家庭も多かった。

このあと給湯器や自動湯はりなどの設備の発展、好景気、さらに円高で燃料が大量に使えるようになったおかげで、お湯は低コスト化し毎日お風呂に入れる人が増えた。昭和の終わりには毎日入浴できる環境が広く行き渡っていた。

「風呂」は毎日必要か

だが、現代においても毎日お風呂に入る必要はなかったりする。

たとえば病気や障害でお風呂に入るのが大変な場合は毎日入浴するのが負担になるので、入浴に頼らない清潔保持が必要になる。それが清拭だ。

清拭とは体の汚れを拭き取って清潔にすること。看護や介護の現場で日常的に実施されている。まずは洗浄剤で体表の汚れを浮かせて、お湯で絞ったタオルなどで拭き取る。自分で拭ける人ならできるだけ自分でやってもらう。

お風呂に入れない人も体を拭くことで清潔をキープできる。おそらく風呂がなかった時代は、水浴びに加えて清拭も組み合わせて、利用できる資源や気候などの条件に合わせた洗身を実施していたのではないかと思われる。

人間は不潔を我慢する方がストレスになる生きものである。ごく最近まで毎日風呂に入る習慣はなかったものの、体をこすり、手に入れられる洗浄剤で油汚れを落として、水で流し、衣服を洗って着替えて、そこそこの清潔を保ってきたのだ。現代の私たちが心配するほどは問題を抱えてはいなかったのではないだろうか。

風呂とパンツ問題、今後も謎が多いままになるだろうけど、先人たちの衛生観念を信じてやっていきましょう。

参考になりそうなサイトとか文献とか

洗浄と清潔の歴史概観

https://www.jstage.jst.go.jp/article/senshoshi1960/37/6/37_6_292/_pdf/-char/ja

【うどん粉で洗髪】江戸時代は石鹸や洗剤として意外な物を使っていた!【灰で食器洗い】(江戸ガイド)

https://edo-g.com/blog/2016/02/sekken.html

給湯器っていつ頃から普及してきたの?(坂本設備株式会社)

https://910setsubi.com/910aruaru/theme003/

給湯器ものがたり(キッチン・バス工業会)

https://www.kitchen-bath.jp/wp-content/uploads/2015/12/21kyuutoukimonogatari.pdf

石鹸洗剤の基礎(日本石鹸洗剤工業会)

https://jsda.org/w/03_shiki/shintaimemo_01.html

合成洗剤の歴史(石鹸百科)

https://www.live-science.com/bekkan/intro/history.html

身体を清潔にする「清拭(せいしき)」(ダスキンヘルスレント)

https://healthrent.duskin.jp/column/library/176/index.html

@makihara
映画や音楽について書き散らす場所。好きなモンスターパニック映画は「殺人魚フライングキラー」「スタング 人喰い巨大蜂の襲来」「X-コンタクト」です。 fedibird.com/@makihara