架空のおじいちゃんとの付き合い方に悩んでいた話

まきはら
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公開:2024/9/8

真木四郎宣親(まきのしろうのぶちか)。現在私がSharkeyサーバ・皆尽村で使用しているアイコンになっているのがこの架空のおじいちゃんである。この1年ほどのあいだ彼というキャラクターとの付き合い方にそれなりに頭を悩ませていたのだが、この度ひとまずの決着がついたのでここにまとめたい。

ことのはじまり

2022年6月、リアル展示のために何か描けと言われて描いたのがこちら。時計と装束と好みのおじいちゃんを描きたかったので詰め込みましたの図。今見るとこんなにアンニュイな顔してたんだなとちょっと感心している。

顔は私の敬愛するモンパニ映画の名バイプレイヤーであるランス・ヘンリクセンをベースに、日本人で違和感のない骨格に調整した。顔が好みでもないと作業のテンションが上がらないんだから仕方ない。

もともと平安装束+現代の道具や古代の生物を組み合わせるのが好きで、以前お雛様の下段に置かれる右近の橘と左近の桜をイメージして描いた絵があった。

今度はその系譜として、これまたお雛様の下の方の段にいる右大臣左大臣を描こうかと思っていたのだが、右大臣の方を描く時間が足りなくて左大臣用に考えていた爺さんをそのまま単体で流用した。

橘と桜が元人間で長い時間を死ねずに生きているという設定だったので、この左大臣も人間ではなくなってるんだろうなーとか、束帯だと窮屈だから勤務体制的に衣冠がよさそうとか、技術の発展で漏刻の管理しなくてよくなったらサボりまくってるんだろうなーとか、笏型タブレットで会議中にSNS見て怒られてそうとか、描きながらどうでもいいことをふんわり考えてたのはよく憶えている。

描いて展示したあとは満足してしばらく忘れてた。ごめん。

皆尽村でアイコンに使う

そして翌2023年7月、皆尽村にアカウントを生やした際に、なんかアイコンに使えそうな絵がないかなと過去ログを手繰っていて、顔の部分だけ切り取ってアイコンに使えそうな絵が先ほどのおじいちゃんしか見つからなかった。ロールプレイ(以下RP)をする気がなかったので私の口調で適当なことをしゃべってる体でしばらく運用していたら、アンニュイなおじいちゃんが軽い関西弁で猥談しているおもしろキャラができてしまった。この顔で猥談していた私が悪い。

設定が増える

おもしろついでにバックグラウンドを固めておくかと思い、描いたときふんわり考えてたことを基に設定を作りはじめた。せっかくなので資料的なものも描く。

設定画の元投稿はこちら

設定等の文章はこちら

装束だと動かしにくいんで、村で生活する上で便利だからと現代服を着せてみたら思ったより違和感がない。のちにどこまで着せられるかといろいろ描いてみたのだが、やっぱり大して違和感がない。

お前そんなんでええんかと思いつつ、なんでも吸収できる愉快さになんか愛着がわき始め、彼のバックグラウンドをさらに深堀りしはじめた。

RPスタート

皆尽村にできたRP用チャンネルに、設定に基づいた与太話を投下し始める。さんざん自我でいじりまわした後のRPスタートである。順番が逆だろう。

彼の故郷である「真木」という架空の関西の土地を舞台に複数の人物の語りで構成する話なのだが、書くにあたって必要な設定を膨らませるうちに、この人どんな人生をやってたんだ?という疑問が今ごろになってわき始めた。なんせあの倫理オワぎみの、いい国作れなかった鎌倉時代に70年も生きてたんだから、まあいろいろあったんでは……と思ってたらいいサイトが見つかった。

https://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/kamakura/el0.html

これで鎌倉時代の人々のおおよその生活が見えてくる。ありがてえありがてえ。考察がどんどん捗り、約70年の生涯の大まかな流れが決まる。

では彼が生きた/生きている「真木」とはどのような土地か、彼は何をしているのか、周りを取り巻く人々はどのようなものかという背景がブワッと広がった。そして「山」や「神社」などの土地に関する与太が増え、バックグラウンドが厚くなり、宣親おもしろいやつだなあなどと他の創作物のキャラクターと同様に気に入って動かし始めたころ、ある困りごとが発生した。

どんなに気に入ってもこの人、私だよな……?

キャラクターと自我の癒着に悩む

もともとは私であるキャラクターを私自身が気に入るというのは、距離が短すぎて食物連鎖としてはあまりにも健康に悪い。もう完全に切り離して別人格として扱った方がいいんじゃないかと思ったが、それでは宣親が別物になる恐れがある。

いままで書いてきたとおり、真木四郎宣親はおじいちゃんの外見に私のしゃべりを吹き込むことで成立しているキャラクターである。キャラクターとしての宣親と私自身の自我はかなり融合していて分離が難しい。

宣親にどんなに設定が増えて人格のようなものが出来上がっていったとしても、それを動かす感情なりクセなりとして私の自我が必要だ。謂わばプロ野球のマスコットとスーツアクターの関係である。東京ヤクルトスワローズのつば九郎は中の人がいないと、あの適度にゆるくて時々危険なキャラにはなり得ない。それに近いものが宣親というマスコットとスーツアクターの私とのあいだにも発生していた。

好きな架空の人物が自分。それはさすがにダメだろう。違和感がすごい。私が他人なら外に出ろ他人に会え楽しいトークしろってアドバイスする。

この膠着状態にそっと最適解を教えてくれたのがTRPGだった。

第三者として向き合う

TRPG。テーブルトップ・ロールプレイング・ゲーム(Tabletop role-playing game)とは、人間同士の会話とルールブックに記載されたルールに従って遊ぶ対話型のロールプレイングゲームである。ウィキペが言ってた。

参加するためにはコマとなるキャラクターを作成する必要があるのだが、参加する卓で使うシナリオ向けにはコメディリリーフができるキャラクターが適しているだろうということで、新規のキャラクターを作るより宣親をそのまま使う方を選択した。

TRPGではシーンごとに自分のキャラクターに演出をつける。内側から演じるスーツアクター的な動きではなく、外側から演技の方向付けをする第三者視点の演技である。

彼なら何を言うだろう。彼ならどのような行動をとるだろう。登場するシーンのその場その場でセリフや動きをアドリブで付け続けるのだが、今まで私が彼に語らせてきた皆尽村での投稿を思い起こせば、やりそうなこと・言いそうなことが息をするように出てきた。

卓が終わって、ログを読んで、ストーリーのいち登場人物として動いている宣親の様子を見て「こいつおもしろいなあ」と他人事のようにゲラゲラ笑ったところでふと、こういうことだったのかと納得した。

ここに至ってやっと、私は第三者の目で宣親を見たのだろう。

今後も宣親の顔のアイコンで、気の向くままに適当なRPなのか違うのかわからない投稿を続けるが、TRPGや自作の小説など何らかのストーリーに放り込む時にはその普段のRPを参考にして外側から演技をつければいいのだ。SNSでは私だが、そこから離れたら別物。このルールを自分に叩き込んでおけば、完全に私の自我から独立したキャラクターとして扱えるし、私自身も「この人気に入ってるんですよね」と言いやすくなる。

こうして、私の地のしゃべりから発生したおじいちゃんは独り歩きができるようになった。見送った私は今、謎のさみしさを感じながらこれを書いている。

真木四郎宣親へ、私の自我からの旅立ちを祝して。

@makihara
映画や音楽について書き散らす場所。好きなモンスターパニック映画は「殺人魚フライングキラー」「スタング 人喰い巨大蜂の襲来」「X-コンタクト」です。 fedibird.com/@makihara