「価値を届ける」って何ですか

まっきー
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プロダクト開発に携わっていると、「価値を届ける」というのはよく聞きます。顧客に価値を届けることに集中しよう社会に価値を届けようなど。この「価値を届ける」って何なのか、現時点の自分の解釈を書き留めておきます。

「価値を届けられた」と感じた原体験

エンジニアとして初めてユーザーに「価値が届いた」と思った原体験のお話を。初めて新規機能の開発に携わったときのことです。本当にユーザーの役に立つのか、リリースまで不安しかなかったですが、リリース後すぐにユーザーと直接お話する機会があり、実際にその場で新機能を触っていただけることに。その場で操作いただき、『あ、これ便利!こういうのほしかった!』と声をいただけたときに、「価値を届けられたんだ」と感じました。

本当に価値を届けられたのだろうか

当時はシンプルに喜んでもらえたことが嬉しかったですが、今思うと本当にユーザーに価値を届けられたのだろうか、と考えることもあります。

例えば、今まで手作業だったものが新機能で作業時間が短縮された、自動化されたというのは、わかりやすい変化ですよね。ただ、これだけで価値を届けられたかというと、全肯定できない部分もある気がしていて。これはプロダクトの特性にもよるなと思います。

私が今携わっているSaaSプロダクトでは「トラストエコノミー」「信頼がめぐる世界をつくる」というビジョンを掲げています。ビジョンの詳細の説明は省略しますが、手作業が効率化/自動化されたところで、プロダクトの掲げるビジョンに繋がらなければ、価値を届けたとは言えないのではないかと。一方で、ユーザーから役に立ったと声があれば、ビジョンへの接続がなくとも価値は届いたのではと、よぎったりもします。

「投資対効果が得られたか」と「価値が届けられたか」

この2つは、近い距離にはいると思いますが、同じではないという解釈です。(そもそも主語が違いますが、、)「投資対効果が得られたか」は投資(プロダクトへ払うお金)を回収できるほどの成果を得られたかどうか、これは数値にしやすいので、まだ分かりやすいです。そしてお金をいただいている以上、絶対に外せないところ。

では、「価値を届けられたか」とは何か。プロダクトが掲げるビジョンとユーザーがプロダクトを使って目指したい姿の重なるところに近づけられたか、というのが今の自分の解釈です。ユーザーはプロダクトの導入を決めるときにプロダクトを使って、何をしたいのか、どこを目指すのかを決めているはず。それは目に見える数値だけではなく、定性的な部分もあると思います。(共感したからこそ導入いただいているという前提ですが)それらと、提供者が掲げるプロダクトビジョンが重なるところがあるはず。その重なる部分に直接的であれ間接的であれ1歩でも近づけること、これが「価値を届ける」なのではと思います。

目の前の1人の役に立てるか

あれやこれや考えましたが、結局は目の前のユーザーの役に立つこと、これができなければ、価値を届ける云々の話も何も始まらないとは思っています(全体最適/個別最適といった話とは別の視点で)

プロダクトのビジョンに共感いただいているユーザーと顔が見える距離で開発に携われること、価値を届けられたか手触り感を持って開発できることが自分にとっては幸せなんだなと。自分の大事にしたい価値観が見えた瞬間でした。

@makky_17
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