千冬は一虎君と一緒に東卍を取り戻すために頑張ってたんだ。
ずっと昔に聞いた武道の言葉が千冬の頭の中で甦った。
場地の本当の仇が稀咲だと知っても、その言葉を真に受けることはできなかった。一体どんな選択肢の中からそれを選んだのか、未来の自分の思考が全くわからない。そう思っていた。
武道だって一虎から聞いただけで、千冬からは何も聞いていないと言った。自分が稀咲に殺された世界では、一虎とどんな関係だったのだろうと何度も考えたが、わかりようがなかった。だけど一緒に行動していたという事実と、そして本当の敵を知ったことで千冬の中にあった一虎への恨みはときを経つごとに薄らいでいった。
先日、世間話の延長で一虎が出所することを知った。それを場地に伝えたくて、出所日に彼の墓参りをした。心の奥底に、一虎が来るかもしれないという期待があったことは否定できない。一虎が場地の墓を教えてほしいとドラケンに手紙を送ってきたという話を耳に挟んでいたのだ。
会ってどうするのか、ということは考えていなかった。本人に会えば、前の世界での関係が少しでもわかるような気がしただけだ。
場地の墓は小高いところにあり、この雲一つない空に少しだけ近い。千冬は花立てに百合を挿し、線香をあげた。手を合わせて場地に語りかける。
今日、一虎君が出所するんですよ。満期出所って聞きました。場地さん、場地さんを刺したのは一虎君なのに、オレはもうあの人のこと恨んでないんです。なんでだろう。薄情なのかな。
遠くで砂利を踏む音が聞こえた。千冬はまぶたを開いて、立ちあがる。俯き加減に歩く一虎の姿が見えた。
その瞬間、胸に得体の知れない何かがこみ上げる。それは怒りでも恨みでもない。驚くほど強い懐かしさと、ずっと探していたものを見つけた安心感だった。
ふいに一虎が顔をあげた。視線が重なり合う。
「先に来てましたよ」
約束をしていたわけでもないのに、そんな言葉が口からこぼれた。鼻の奥がツンとして、喉が震えた。
会いたかった。
心の中に生まれた気持ちを、千冬は素直に受け止める。ずっと一虎に会いたかったのだ。どうしてそう思うのか、そんな疑問はどうでも良かった。一虎に会えた。その事実だけが千冬にとって大切だった。
腕の中で一虎が泣きじゃくっている。大きな子供みたいだと千冬は思った。
「一虎君がそんなに泣き虫なんて知りませんでした」
そう言いながら背中を軽く叩く。一虎が肩を震わせながら「泣き虫じゃない」と涙声で言った。前の世界のオレは知ってたのかな?と千冬は考える。妙にしっくり来ているから、恐らく知っていたのだろう。もしかしたらしょっちゅう一虎をあやしていたのかもしれない。そこまで考えて、後輩が先輩をあやす関係ってなんだ?と疑問に思う。
「ほら、場地さんに手を合わせてください。ただいまって挨拶してくださいよ」
「うん」
一虎は袖で目元を擦り、場地の墓に向き合った。しばらく墓を見つめてから手を合わせた。心の内でたっぷり対話したのか、目を開けた一虎の表情は明るくなっていた。
一虎が立ちあがって、再び視線がかち合う。千冬も一虎も黙ったままだった。その沈黙の中で千冬は逡巡する。ここで別れていいのか、お茶にでも誘った方がいいのか、そもそもこの感情はなんなのか。ここで別れて、もう二度と会えなくなったら嫌だという気持ちが湧き上がる。どうしてこんなに離れがたいのか、さっぱりわからない。
しかし一虎も複雑な表情でこちらを見ている。一虎の態度を見るに、彼も何か不可思議な感情を抱えているに違いない。それを知りたいと千冬は思った。
「一虎君、うちに住みますか?」
口をついて出た言葉に千冬自身が驚いた。住むってなんだそれ、いきなりそんなこと言われたら怖いに決まってるだろと心の中で自分に怒鳴りつける。
一虎は視線をさまよわせていて、狼狽えている様子だった。
しかし彼の言葉は千冬の予想に反して「え、いいの?」というものだった。自分で誘った手前、だめとは言えない。
「はい」と答えれば「よろしくお願いします」と一虎が頭を下げた。
場地さん、どうしよう。一虎君と一緒に暮らすことになっちゃった!と千冬は場地に念を送る。
一虎のことよろしくな、という幻聴が聞こえた。
家に一虎を連れ帰ってきたものの、千冬のマンションは単身者用でベッドも一つしかない。一虎は疑問を持っていないのか、はたまた住ませてもらうのだから文句は言えないと思っているのかわからないが、ソファに大人しく座っていた。
「はい、どうぞ」
千冬はマグカップをテーブルに置き、自分は立ったままコーヒーを飲んだ。一虎はおずおずとマグカップに手を伸ばし、コーヒーを口に含んだ瞬間に眉をきゅっと寄せた。
「苦いですか?砂糖とかいります?」
「大丈夫。刑務所でコーヒーって滅多に出ないからびっくりしただけ」
刑務所帰りにコーヒーは刺激が強いという無駄な知識が千冬の中に増えた。コーヒーを持ったまま、一虎の隣に座る。こんなに近くにいたことなどないのに、違和感が全くなかった。そのまま体を預けてみる。一虎の体は硬直した。
「重い?」
「重くねえけど、なんか変な気分になる」
「どんな気分ですか?」
「落ち着くのに胸騒ぎ?なんかわかんねえけど心臓がうるさい感じ」
一虎の言うことがなんとなくわかった。触れているところから相手の体温が流れ込む。それは気持ちを落ち着かせてくれるが、急き立てられるような感覚もある。これは何か。焦燥感とか何かを渇望するときに似ている。
「変なこと言うけど、触りたいって思う。千冬に」
一虎の言葉がしっくりときた。そうか、これは触りたいのだと納得した。一虎に触れたいけれど会ったばかりだし、どうしていいかわからない故の焦りだったのだ。
「触ってみますか?」
自分も同じように思っていることは内に秘めたまま、聞いてみる。一虎は何度かまばたきをして「いいの?」と言った。千冬は黙って頷いた。すぐに一虎の手が伸びてきて、頬を撫でられた。控えめな触り方に拍子抜けする。先ほどのように抱き合ったりするのかと思っていた。
一虎の両手が頬を包み、親指が目の下の薄い皮膚をなぞる。その触り方が優しすぎて、官能を与えようとしてるのではないかと勘違いしそうになる。親指がこめかみに移動し、四本の指が耳の後ろに触れた。ただそこに置かれているだけなのに、じわりと体が熱を持つ。