「理解できない」ことと「傷つける覚悟を持つ」こと

mamezo
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 一応33年生きてきて思うこと。人は案外、”似てるけど違う存在”の方が理解できないし排斥してしまうのではないかということ。

 変な例え話。”サウジアラビアに住んでいるイスラム教徒”より、”日本に住んでいるイスラム教徒”の方がなんか理解できない感じがするし、なんなら”日本人のイスラム教徒”の方がより理解できなかったりする。これはあくまで例え話ですが。

 まあでもだいたいのことはそういうことかもしれないなあと思っている。「似てる」とか「同じだ」とか最初に思ってしまった結果、「なんで自分とは考えることが違うんだ」とか思ってしまう、ような。

 あとは、創作活動をするうえで、”傷つける覚悟を持つ”のが大事だということ。これは「言葉で傷つけてやろうぜ!」ということではなくて、自分の言葉に責任を持つという意味です。

 どんな言葉でも、全く人を傷つけないということはない(はず)。できることは、不用意に人を傷つけない言葉を選んでいくことだけ。なんでもかんでも言っていいということではない。

だからこそ、自分の選んだ言葉に責任を持って、人を傷つけるかもしれないということに覚悟を持つことが大事なのだと思う。「これを言うことで誰かを傷つけるんだろうなあ」と思っても、それはそれで腹を括るというか。そういう立場でいたいなあと思う。

@mamezo
チーキュの一般市民