それはいつも突然だ。
前触れもなく、ピンポーン、と玄関のチャイムがなる。カメラの先に見える姿をとらえる。
「クロネコさんだ!」
我が家のテンションの上がりようと、クロネコさん(つまりヤマト運輸さん)へのリスペクトは相当なものである。
月並みな表現だけど、クロネコさんは、いつも幸せを運んでやってくる。その運ぶ「何か」を通じて、ある人からある人への想いをていねいに、運んでいる。
ドキドキワクワクする物だったり、感謝や祝福、激励や応援を形にしたものだったり。
時には、自分に対する覚悟や決意を表した物だったり。
その届けられた品を、玄関先で確認しあってやさしく受け渡され、ていねいに受けとる。
品物の重みに、送り主の想いが乗り、さらに届けてくれたクロネコさんの想いさえも上乗せされたような。
その「受けとる」一連のやりとりが、尊い。
(大袈裟な捉え方かもしれないけど)
私は、相手の気持ちをきちんと受けとるには、受けとる側も準備が必要だし「受け取りましたよ」と伝えることがとても大切だと思っている。
(実際、クロネコさんから荷物を受けとるまでには、インターホンに応答する→引き出しを開け→印鑑を出す→廊下のドアを開け→靴を履いて→玄関を開けて→印鑑を押す、までのプロセスがある)
私たちは、普段あらゆるものに接している。
物理的な何かや、目に見えない想いや、流れていく情報。
その中で自分にとって「必要だ」と思うものや、自分だけに発せられた「相手の想い」については、自覚的に「受けとる」ことが大切だ。
何もせずとも「既読」になったり、リアクションスタンプで「反応」できてしまう時代だからこそ、丁寧に受けとるだけで感じる、相手の想いがある。
自分自身が「受けとる」ことに自覚的になると、受けとったその想いに対して「言葉を紡いでみよう」「伝える努力をしてみよう」という気持ちすら湧いてくる。
感謝の気持ち
相手を慮る言葉
価値観への共感
時間を割いてくれたことへの労い、など。
自分が大切にしたい相手に「自らの言葉で伝える」と、より深く気持ちが通じ合えて、幸せが倍にふくらむ。フワフワと。
そんな繋がりは、互いにとって豊かな時間を生み、よりよい未来を生みだす。
贈り物や品物を介さなくても、普段の会話から実現できる。
大層な表現でなくていい。
他愛のない会話やシンプルな言葉で十分。
相手の世界線で、素直に受けとってみる。
自分の世界線から、伝えてみる。
それだけ。