人生のデフラグは難しい。

manabeat
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 このところ、年齢のせいなのか精神的なものがとても良くないせいなのか、ちょっとよくわからないが、仕事の効率、パフォーマンスが異常に悪い。大したことをしていないのに疲れ果ててしまったり、十分な時間が確保できているにもかかわらず思ったような成果が上がらなかったり。それに加えて、普通ではあり得ないミスや忘れ物をして、せっかく確保した時間をパーにしてしまったり、まぁとにかく毎日がポンコツなのだ。それでも友人の集まりに呼ばれて顔を出したり、言われた仕事をどうにかこなして体面は保っているものの、上で書いたような日々が続いているせいで、打開策、解決策もないのに危機感や罪悪感だけがドシドシと累積して、とても重苦しい気分が続いている。

 それに輪をかけるようにして、iPhoneの動作の重さが大きなストレスになっている。とてもシンプルな話で、データが多すぎて、アプリがダウンロードできなかったり、アップデートがインストールができなくなったり。そのくらいならいらないアプリや動画などのデータをドサッと消せばその場はどうにかなるわけだが、ついに残り容量が3GBを切り始めたあたりから、全体的な動作そのものがもっさりしてきてどうにもならなくなってきた。ちょっと重いサイトを見るとSafariがクラッシュすることも珍しくない。アプリを開いても画面が切り替わらない。これはすごくしんどい。たぶん自分の身体とか頭脳とかも、もしかしてそういうことになってるんじゃないのか? などと思ったりする。

 要は昔のパソコン(Windows)でそうしていたように、ディスククリーンアップとかデフラグとかメモリ解放とかそういうことをやらないと人間もダメになっちゃうんじゃないの? なんてね。考えていた。この思考、行動のもっさり感が、このiPhoneの動作の遅さに妙にオーバラップしてくる。スマホは自動的にアップデートを知らせてくれるが、人間は全部自力でなんとかしなければならない。さぁ、どうする自分。

 これはちょっとした豆知識だが(と急にライフハック記事みたいなことを言うけど)、LINEのアプリのデータ量ってけっこうバカにならない。iPhoneのストレージを設定から調べてみたら5GBくらいあった。なんでそんなことに鳴ってるのかは知らない。友人同士の連絡だけじゃなく仕事の連絡もLINEを使うことが多い。個人的にはあのアプリが開発された直後から、このコミュニケーションツールは便利すぎて碌なことにならないとずっと思っていた。なるべくなら使いたくなかったし、必要に迫られて使い始めたらやっぱりひどい目にあった。そのへんの話はまた別の機会に改めてするとして、まったく見ることのないトークルームや開くことのもうないデータなどと削除したら半分くらいにデータが減った。これでもまだ重いと思うのだが。

 さっきも言ったようにLINEの連絡にあまり重きを置きたくないというか、「既読」みたいな機能は本当に最悪だと思っていて、まぁいいや。その話もまた今度にしよう。何が言いたいのかというと、まさに今、これまで私が会話を止めてしまったトークが10年分くらい溜まっているのを発見してしまった。それをひとつずつ開いて内容を確認するのもつらくてつらくて、思わずスマホの画面から目を背け、許してくれ…赦してくれ…と涙を流して唱えながら、私はキーボードをバチバチと叩き、この画面に文章を打ちつけている。

 みんな本当にあれ(LINE)とどううまく付き合っているのだろう? 定期的に未読をチェックするなんてことができないくらい、いろんな連絡が来て、ずっとうんざりしている。公共のアカウント(市町村とか)から昔一度行っただけのお店とか、そんなものまでが全部一緒の画面にドサドサと連絡が来るなんて、こんなのどうかしている。そんなことだから、大切な友人の「今日ヒマ?」みたいな連絡もずっと埋もれていたのも5年ぶりくらいに初めて見て、慟哭するように涙が出てきそうになっているのを今、一生懸命にこらえている。この5年の間にたとえばその大切な友人が事故や病気で死んだりしていたらどうするんだ? 一生心に傷が残るだろうが。

 そんなわけで、私がほったらかしにしていたトークルームのひとつひとつにはそこに投稿された文字や写真のデータ以上に重い、形のない重さがあり、きっとそれが知らず知らずのうちに私のなかに堆積していたんだと、今やっと分かったのだった。この10年間、こんなことになる前に、自分ですべて処理することはできなかったのか? もちろん自分に問うた。しかし、やっぱりどうしてもできなかった。できないくらい毎日を生きるので精一杯だった。若かった頃、自分には時間も気力も無限にあると思っていたし、それらを使うための場所はいくらでもあり、後先を考えずにひたすらやるしかなかった。

 でも、気がついていなかっただけで、若い頃だって時間に気力にも限界はあった。その時にこぼれ落ちてしまったもの、拾えなかったもののほんの一部が、ここにあるような気がした。知らないうちに溜まってしまっていたこれらのあれこれが、まるで膨大なデータがスマホを圧迫して動作を遅くするように、自分の精神を蝕んでいたのではないか。パソコンやスマホであれば操作ひとつでデータを消去することができるが、心は、人生はそうはいかない。とっくに忘れていた自分の過去の一場面が大きな輪を描き、ふとしたことでこちらに向かって鋭い針を刺しに来る。思い出は大事なものだから、叩き落として頭から消し去るというのもなんだか違う気がする。

 そう。データを消去するというより、消去はしないでアクセスしやすいところに整理しておいておくような感覚が近い。今、自分には人生のデフラグが必要なのかもしれない。頭では分かっていても難しいものなのよ。乱暴に生きてきた報いがついに来ちゃったって感じがするね。なんとかしよう。人生のデフラグ。