ガストでよく仕事をしている。クーポンでピザとドリンクバーを頼み、延々と居座ってバリバリ文章を書いている。今日は隣におばあさんたちの集団が座った。今の日本はシルバー層が一番お金持ちだ。CDでも本でも、なんでもやたらとモノの値段が上がっているのは、多少高くても買ってくれる高齢者の層がいるからなわけで、作る側にしてみたら、商売の方向がお金を出してくれる人に向かわざるをえない。
たとえば政治家が、選挙があったときに確実に投票してくれるのは高齢者たちの層だから、政治もどんどん高齢者に優しい方向になっていく、っていうのと同じだ。いや、高齢者に優しくなる分には一向に構わない。そう遠くない将来、自分だっていつかは高齢者になるんだから。高齢者になっても優しくしてもらいたいよ。ああそうだよ。優しくしてくれよ。
問題なのは、その結果として若者に厳しくなってしまうことでしょう。若者だって優しくしてもらいたいよ。ああそうだよ。優しくしてくれよ。そんなわけで、悠々自適っぽい高齢者を見ていると、しょうがないとはわかっていても、「やっぱり余裕のある時代に生まれた人はいいよなぁ」と考えてしまったりする。しかし先日のガストではちょっと驚いた。おばあさんたちが、全員ドリンクバーを頼まず、水と氷だけしか飲んでいなかった。高齢者はお金を使って当然だと思っていたから、ちょっと考えてしまった。もしかして、高齢者も貧しくなり始めてるんじゃないか、とか。そして今、ファミレスにいる自分はものすごく贅沢をしているんじゃないか、とか。
人間が一度の人生で稼ぐことのできるお金の額はある程度決まっている。先のことはわからないけど、早く死んだりするのかもしれないし、なんかの拍子で大儲けするかもしれないし、わからんけど、でも今の段階で社長とかになってない限りは生涯で稼げる額なんてたかが知れているだろうと思う。そこで考え込んでしまったのだが、もし、今の自分が、将来高齢者になったときに行くはずだったファミレスで使うお金をいま、前借りして消費してしまっていたのだとしたら、高齢者になった私は将来ファミレスで氷水を飲むことすらできなくなってしまうのではないか?と。一生に稼ぐ額が決まっているのなら、一生で行けるファミレスの回数も決まってしまっているのではないかと。
あぁ、なんて貧しい話なんだ。