「懐古趣味」を「新作コンテンツ」として楽しむことについて。

manabeat
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『東京物語』の香川京子さん(大好きです)

 最近、と言ってももう4〜5年になるだろうか。VHSの画質を再現する動画アプリであるとか、フィルムカメラの質感に変換してくれるカメラアプリであるとかそういうものが盛んに流行りはじめ、なんだかキツネにつままれたような気分が続いている。テレビの画面がガサガサになり、ザーザーと大きな音をがなりたてる現象を「砂嵐」と呼ぶが、もうこの現象を知る人は30代以上だろう。アナログ地上波がすべてデジタルに切り替わったおかげで必然的に「砂嵐」は絶滅した。親が寝静まった後にこっそりとテレビをつけて砂嵐に遭遇して心臓が止まりそうになるような経験をするという出来事も完全に起こりようがないというわけだ。NHK総合が1チャンネル。NHK教育が3チャンネル。1と3の間にある2チャンネルは常に砂嵐だった。あの悪名高き某巨大匿名電子掲示板のネーミングもここに関係している。あぁ、そうだ。そこももう今や「5ちゃんねる」と呼ばれているのであった。その経緯はいちいち説明する気も起きないので各自でWikipediaでも読んでもらいたい。

 さて、話がそれてしまった。もはや旧世代となってしまった私などは何事もデジタル万歳の社会に育ってきた。デジタルカメラで写真を撮り(スマホではないぞ)、DVDをレンタルし(お店で借りたディスクを同じお店にまた返しに行くのだぞ)、やたらとかさばるブラウン管式のアナログテレビ受像器を粗大ゴミに持っていった。そんなわけで、またあの時代に戻ろうとしているとしか思えない昨今の流行には疑いの目に近いものを持たざるを得ないのだ。私が少年から汚いおじさんに成長してしまったこの20年をなかったことにしないでくれないか、と僕の中の少年が胸の中で叫んでいる声が聞こえる。

 ごめんね。それはウソ。言いすぎました。フィルムの質感ってやっぱり素晴らしいなと思うし、デジタルによって一旦失われたアナログメディアの味をわかってくれる人たちがまた出てきたことはレコード文化の復興と同じように個人的には歓迎したい風潮だと思っている。問題はVHSだ。VHSの画質が好きっていう人のことはちょっとわからないんだなこれが。あんなガビガビの画質のどこがいいのよって話。初期のYouTubeみたいなもんでHD画質が当たり前の今の時代で考えたら観れたモンじゃないわ。それはまぁいいや。今時のサブスク配信の音質だってロスレスじゃなければ圧縮音源だし、画質にしろ音質にしろ「4Kとか8Kとか知らんけど、もうだいたいこのへんで良くねぇ?」みたいな無意識の意思表示なのかもしれないし。そこは好みの問題だから。

 あとは気になっちゃうのは若い人が再現する昔の人のしゃべり方ね。何年か前に、古い日本映画の女優さんのしゃべり方を真似して話題になった芸人さんがいたでしょう。モノマネっていうのは対象に似せつつ一部を過剰に誇張させるものだっていうのはかつての清水アキラがテープで鼻の穴を吊り上げて研ナオコのモノマネをやっているのを見てゲラゲラ笑っていた私にもよくわかるのだけど、例の芸人さんの場合、そもそもあんまり雰囲気が似ていないなと思ったし、例えば名画座に行って小津安二郎監督の映画を観に行ったりすると、「ダメよ~ダメダメ〜」って、岡田茉莉子が『秋日和』の劇中で本当にそう言うもんだから場内大爆笑になっちゃって、すっかり映画どころではなくなってしまった。要するに過去のコンテンツを芸・ネタのひとつとしてしか扱っていないということ。それから、ネタ元に当たらない人たちが「あぁ、昔ってそうだったんだ」と誤解して理解してしまうこと。そして、ネタ元より粗悪なコピーが上位に立ってしまうこと。

『秋日和』の岡田茉莉子さん(大好きです)

 また話がそれちゃった。とにかく未来をクリエイトしていく若者のみなさまにおかれましては、対象への愛情、あるいは現代社会を斬る視点というものを忘れないでほしいなって思うんですよ。この感情は自分が回顧される対象の時代の人間になってしまったから発生しているに違いないのだけど、少なからず当時の世相を知っている人間としては、「昔の人っていちいちクセがあって変わってるよね〜」的な、ちょっと小馬鹿にしたようなムードっていうのは作った人が意図している、しないにかかわらず、敏感に感じ取ってしまうものなんです。それが最近になってやっとわかってきた。昔の映画俳優の真似をする芸人さんに「おや?」と違和感を持ったのは、その昔の映画や昔の時代を(生まれてはいなくても)ある程度知った気になっているから。自分が生きた時代の文化に対しても敏感になってしまうのは、やっぱり当然のことなんだよな。そういえば昔、ウッチャンが台本を書いて演出もしていた『笑う犬の冒険』で小津安二郎のパロディコントをやっていて、彼氏が父親(笠智衆のモノマネをするウッチャン)のもとへ挨拶に来たいと娘が言うものだから、招き入れたらナンチャンがモノマネをする「おすぎ」が出てきたという、今ならオネエキャラを出オチに使っている時点で大問題だが少なくとも元ネタの映画に対する愛情は感じられたものだ。

 おじさん世代にしかわからない話で説明しても絶対に伝わらないのでもう少し話を切り変えてみようか。例えば「時代劇映画」ってものについて考えてみてほしいんだな。平安時代、鎌倉時代、戦国時代に江戸時代。大昔の人間たちのドラマをこの現代に想像して再現して描こうっていうんだもの、あれこそ日本で映画が生まれた120年前から始まっている究極の懐古趣味だと思うんだけど、現代の出来事をそのまま映画化すると生々しくなってしまうところを、いろんな設定を時代劇の世界に置き換えてみることで現代の観客にメッセージを伝えるっていうメディアでもあったわけ。だって生きている人間は同じだものね。もちろん時代が移り変われば人の感覚も変わるにせよ、歴史を勉強してみれば人間って同じことをバカみたいに何度も繰り返しているのがわかるでしょ。だから「昔の人ってバカだよね」っていう感想も別に否定はしないけどさ。でもその感情のベクトルを過去に向けたままにはしないでほしいんだ。今に生きている人間である以上、今どうするか、今どうなりたいかがやっぱり大事だと思うから。今度はそのベクトルを自分の顔のほうに一度向けてみてごらんよ。もしかして今の自分たちも昔の人と同じ罠にハマってはしないだろうか? そういう気持ちは持っておいて損はないと思うんだよ。むしろそういう気持ちが明日を生きるヒントにつながるんじゃないのかな。とにかくこれからもたくさん出てくるであろう未来の懐古趣味の展開におじさんは大きな期待をしています。

 そういうわけなんで、みんな夜露死苦!!!(上手くまとまらなかったので適当に誤魔化してこの文章を終わります)

※文中の画像はこちらから引用させていただきました。小津安二郎監督の個性的な構図が妙にゲームっぽいという、とても興味深い着眼点だと思います。