あんまりハッキリ書くと人に迷惑がかかるから適当にボカして書くけども、なんとかってアイドルの人が難病にかかってしまって、それでかんとかっていうリスキーな治療法を試すしかなくて、それで、「しばらく活動を休止します。もし治療に失敗したら死ぬかもしれないので活動再開は未定です」というお知らせの情報がスマホに出てきた。その人のことはその時初めて知ったし、毎日毎日初めて知る人の情報が飛び込んでくるのでそれはもう慣れたけど、その人について初めて知った情報が「難病で死にそう」だなんてあんまりだ。若いのにかわいそう…なんとか病気が良くなりますように…とさすがに同情した。
で、それから数日後にあっさりと、病気は良くなったから活動再開します。そして今度ライブします。グッズも売ります。来てね、という告知が目に入った。チケットはいくらいくらで、グッズの種類はこれくらいで、全部買うと特典で生写真がついてきて、それからなんたらかんたら……。死ななくて良かったという気持ちより、そんなに重い病気だったのなら回復したとしてももう少し休んだほうがいいし、イベントは前から決まっていたのかもしれないにせよ、具体的なお知らせはもう少し時間を空けたほうがいいんじゃないのか?という怪訝な気持ちが勝ってしまった。
別に私はそのアイドルが仮病だったと言いたいわけではない。自分が無邪気に他人の言うことを信用できなくなってしまったことに気がついてしまって、それがとてもさびしくなってしまったのだ。だってイヤじゃないですか。難病の人に対して「心配して損した」なんて、思っちゃう自分は本当に最低の人間ですよ。
どんなに世の中が発達しようと結局のところ、いろんなことは人と人との信頼関係の上にできあがっている。例に挙げてしまった冒頭のアイドルにしても、基本的には言っていることはすべて本当のことである、というのがすべての前提だ。そりゃそうでしょう。アイドルがウソの告知なんかするわけないし。世の中に溢れるすべての発言は、その人が本当のことを言っていると思うからこそ、価値が生まれる。そうか。この人がこんなことを言っている。なるほど、そうなのかって。
ところが、その本人が周囲の信用を損ねてしまうリスクを受け入れさえすれば、実はウソなどというものはいくらでもつき放題なんである。「人にどう思われてもかまわない」。ポジティヴにそういう気持ちを持って自分の意志を通せる人は強いと思う。しかしこれ、裏を返すと、悪事の働き放題ということにもなってしまうだろう。人にどう思われようともかまわないなら、どんなに悪いことだってできてしまうんだから。もしウソをつこうと思ったら、バレるとかバレないとか以前に、まず「相手が確かめのようのないウソ」をつけばいい。
絶対にバレないウソ。その気になればいくらでもつけるでしょう。特に「つく理由のないウソ」が強い。自分のミスを誤魔化そうとしたり、自分の存在を大きく見せようとしたり、そういう動機がないウソほど確かめるのは難しい。そもそも、誰もが他人の話に疑いを持たないからだ。いわゆる虚言癖のある大ウソつき人間は、そこに気がついてしまった人、と言えるだろう。ウソをつくことになんの罪悪感も持たなくなった人間は、小さなウソを上手に重ねながら世の中をグングンと渡り歩いていく。
残念なことに、割と身近な人間にそういうウソつきがいることが最近わかってしまった。ウソがウソだとわかるまで、それなりに長い時間がかかった。私はどんなにくだらない小さなことでも憶えている性質だから、後々になってから矛盾に気がついた。でも、今さら「あの時のアレはウソだったでしょう」などと言えば、かえってこちらがバカを見ることになる。問いただしたところで、さらにまた別のウソをついて矛盾が出ないように発言を修正してくることだって考えられるし、バレるまでに時間を要する、賞味期限のある巧妙なウソをつくような人間が、指摘されてすぐ行動を改めるなどということは、まずあり得ない。私ができることは、今後自分がその人と絶対関わることのないように、一切の関係を断つしかない。それこそ、ウソをついてでもその人から離れるべきだと。
そういうわけで、信頼している友人以外の話は基本的にすべて信用できなくなった。テレビや新聞のニュースの情報は基本的に信頼している。ネットメディアはあんまり信じていない。そのへんの線引きについては話すと長くなるからこれ以上は書かないけど、すでに確定した事実まで疑い始めてしまうと現実世界の認識さえ歪んでしまい、正しく物事を判断することが一切できなくなってしまうからだ。
最近の世の中はウソばかりなので、無意識にそこのゾーンへハマってしまっている人をよく見かけるようになった。進むも地獄、退くも地獄。私はただただその狭間でどちらにも落ちてしまわないように、踏ん張り続けることしかできなくなってしまった。疑いつづけるのは苦しい。だからと言って、すべてを信じるのは危ない。そうか。岡林信康が「自由への長い旅」で「信じたいために うたがいつづける」と歌ったのはそういうことなのか。どうなのかな。いや、でも私はそう信じている。
冒頭の画像はドラえもんの名作『世の中うそだらけ』から。名作ですよ。