ゆく年くる年

manaca
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振り返ってみる。めっちゃ長くなった。

1月

年末調整で死ぬ。契約協定諸々の都合で残業ができないのに残業が発生した。なんだかんだで勤めてから初である。まじぴよ

2月

コロナ諸々の手続きに追われる。会社内でコロナ罹患者が次々に出て、各種ハンクライベントをすべて見送る羽目に。まじぴよ

3月

何してたかあまり記憶がない。手続きに追われるのは引き続きだけど終わりが見えてきた。

4月

26日に最後の手続きが終わった。あまりに仕事量が多くて追われまくり、人からこれで最後と言われて気がついたくらい。コロナと並走した3年は長かった。

5月

稼動日が少ないのでやっぱり忙しくはある。3年ぶりのもとの仕事で若干操作を忘れ気味。

6月

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 燿城夜祭 -かがやきよまつり-

約三年半ぶりのコール解禁ライブ(厳密には2月の合同から解禁なんだけど行ってないので)

2019年2月公演を最後に2020年は全中止、2021年1月公演「Happy New Yell !!!」はやっと現地に行けるかと思いきや、緊急事態宣言で無観客配信。暗い話ばっかりの世の中と仕事を、Wish you Happiness!!を聞きながら過ごしてた。3年半越しの『みんなでSAY!!HAPPY!!』の合唱は胸に迫るものがありました。私のウィズコロナ、やっと終わった。

7月

Twitterの乱を契機に、Misskeyサーバー「ノベルスキー」に登録。6月くらいから移籍先をあちこち検討はしてたんだけど、ioもマストドンも勢いが早すぎてついていけず、にじみすとかデザインはなんか違うなあと悩んだ結果、読むのは好きだし読み専でもいいらしいから…とお邪魔してみた。パブリックの隣を覗いたらダジャレバトルやってて、ここなら隅っこにいても邪魔にならなさそうといつくことにする。その場所はノベルスキー分室。

8月

鯖内短編大会というものをやってた。ノベルスキー内で流行って?たノベルスキーマンションの話が面白かったので、ちょっと乗っかって書いてみた。景品が朗読というのは決まってたので、読みやすさ発音のしやすさは意識したけど、深く考えてはいなかった。実は投票するつもりがなくて放ってたんですけど、最終日にあまりに鯖管さんが言いに来るので、よほど票数競ってるのかなと投票した。

なんで最優秀もらってるんです…?

説明が面倒で「読み専です」としてたけど、本当は遥か昔に、多分界隈ではまあまあ認知度の高かったであろう作品を書いてた時期があった。諸々あって、二度と書き手と名乗ることはないだろうと思っていたのに。創作の女神は慈悲深いが、1度目が合ってしまえば生涯離してもらえないという。身をもって体験すると思わなかった。

9月

ぴよ語、というマイルールがある。わるいことば、人を傷つけるようなことばなどを全てぴよに置き換える。元々は悪い言葉の語彙力が極端になく、苛立ちや腹立たしいことを思うように伝えられなくてストレスをためていた私に、夫が提案したものだ。嫌なことはぴよぴよ、腹が立つこともぴよぴよ、夫に物申すときもぴよぴよ(なお夫は夫で極端に悪い言葉への耐性が高く、私が本気で罵倒したところで痛くも痒くもない)

悪い言葉だけぴよぴよしていると、ぴよぴよ=悪口になってしまうので、楽しいこともなんかあってもぴよぴよぴよぴよしていたら、ぴよの人というイメージが定着してしまった。まあいいか。

10月

ノベルスキー内で物販イベントをやるらしい。楽しそうだなあ、行けないけど何か出してみたいなあと呟いたら、話が弾んで滑って何故か無配企画立案者となっていた。まあ楽しそうだしいいか。

11月

無配の1次締め切り。結構な人数が提出してくださる。ありがたい話。流行りに乗ってホームページを復活させた。昔のサイト名と名前を再び名乗ることにする。もう覚えてる人なんていないだろうけど、気に入ってたので。

12月(総括)

7月からは早かった気がする。Twitterでは会話の相手がほとんどおらず、寂しかったんだなということにノベルスキーに居ついてから気がついた。日々のどうでもいい話、おいしいもの、すてきなはなし。誰かと話すって、そういえば楽しいことだったなと思い出せた気がする。

思うことは色々ある。いつまで続くかなと思うこともある。でもできるなら信乃さんの挨拶でもある「今日もゆるぼち、踊り忘れず」の精神でいたい。

踊れない日は代わりに踊るから。悲しんでるときはそばにいるから。そして一緒にまた踊ろう。「いつか」はできるだけずっと先に。

叶うなら、みんなとともにずっと。