<隙自語警報発令中>
この年になると子供の写真がついた年賀状が増えます。親しくしているリア友が5人いるんですが、私以外はみんな子供がいるので、生まれましたがてらに年賀状は写真入り。
これが、見るのが苦痛で苦痛でたまらなかった。
なぜなら、うちは子供ができなかったから。この先の原因判明には着床前診断が必要というところまではやったんです。遺伝学的に子供ができづらいことがわかっていて、それでも授かるならと治療していました。一応生物学的なリミットはもう少し先ですが、まぁもう無理やろ。他人の幸せをねたむ人間にだけはなりたくないという信念を持ってるんですが、それをもってしても苦痛だった。可愛いとは思うし、友人のうち二人は妊娠まで結構時間もかかってたので、よかったなあと思うのは心底本当なんですけど…。
5人のうち、1人だけには治療をしていたことを打ち明けています。今年から、5人のうち2人の年賀状は写真入りではなくなりました。たまたま紙が足りなかったのか、気遣いなのかはわからないけれど、ちょっとほっとしている自分がいて複雑。
気持ちの整理が少しついてきたのは、職場で赤ちゃんが生まれた人にお子さんを抱かせてもらったこと。生後一か月の時期でまだ首が座っておらず、本気で遠慮したんですけど、諸事情で。妊娠を諦めた後の話です。
命の重みってこんなんなんだな…というのと、私がこの先経験することはおそらくないんだなあというので、気持ちはぐちゃぐちゃだったんですけど、知れてよかったな、と素直に思いました。それ以来、子連れを見る苦痛は少し減った気がします。
今いるとこはあまり子供の話が出ないので気が楽です。育児に限った話ではないですが、この世の何をおいても憧れたり、何を引き換えにしても欲したものに、決して手が届かないのに、目と鼻の先で気軽に話題にされることの苦痛って、経験してないと痛みがちょっとわからないと思うんですよね。経験がないに越したことはないとは思いますけれど。