繊細さんという言葉が嫌いである。HSPという言葉も嫌いである。人は嫌いではない。言葉が嫌いだ。
自分もいわゆる繊細さんやHSPに当てはまるタイプの人間だと思う。感覚過敏があり、不安を感じやすい。些細なことで悩むし、ぐるぐる悩むことも少なくない。定期的に夜に不安で眠れなくなっては漫画を大人買いして夜を凌いでいたりもする。だが、だからこそ、私は、繊細さんやHSPという言葉が嫌いだ。
繊細さんやHSPの気質の根源は『過敏』と『不安』にあると考える。受け取る情報が多くて脳が疲労しやすい上に、不安を感じやすいので脳が疲労しやすい。疲労しやすい特性を2つもつがゆえに脳が疲労状態なことが多く、疲労状態なことが多いのでネガティブな思考に陥りやすい。そういう傾向がある人のことを繊細さんやHSPと呼ぶのだと思う。
繊細さんやHSPという言葉を使った本は大抵優しい。そのままの貴方でいいんだよ、貴方の特性は素敵なもの!という言葉は不安だらけの世界の中では大変甘美な響きだし、それで救われたっていい。
その救いは恒久的なものか?
『魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるのが大事』とはよく言う。あなたの特性は素敵なもの!という言葉は魚の釣り方を教えただけでしかない。確かに気づきやすいという性質は察するのが上手いということにつながるので素敵なものだ。それは否定しない。でも、それを伸ばして活用して過ごしたらどうなる?しんどいぞ。
大事なのは『不安』の方だ。過敏は正直どうしようもない。だって勝手に入ってくるんだし。不安が発生すること自体もどうしようもない。感情の発生はコントロールできない。大事なのは『不安』の対処だ。そして、何に不安を感じやすいのか、どうしたら不安に対処できるのかは、多少の傾向はあるだろうが、人それぞれなのだ。私は不安に対して対処行動をするのが1番良いけれど、それだと対応しきれずに疲れすぎてしまうのである程度『諦める』という術を身に着けた。何が諦めてもいいものかは人それぞれだ。
繊細さんやHSPという言葉自体はどうでもいい、1番嫌なのはこれらの言葉が『このままの私でいいんだ!』というラベリングになりかねないことだ。本人がそれで幸せに過ごせるならそれでいいが、そのラベリングが『本当は自分の不安と見つめ合って、自分の不安の対処を覚えた方が幸せになれる人』が、不安と見つめ合う可能性を奪っているのではないか、と思うのだ。
不安というのは『何らかの欲望が達成されていない状態』からきているのだと思う。つまり不安と向き合うというのは『自分が本当にやりたいことと向き合う』ということなのではないかと思う。その機会をなんか他人が作ったお便利な言葉で失ってしまうのは大変もったいない。わたしにとってわたしは『わたし』でしかなく、そういうラベルがベタベタ貼られた何かであってはいけないのだ。そしてそれは、あなたにとってのあなたも、そうなのではないかと、私は思う。
全然話は変わるが私は性別二元論も非常に嫌いなので私がラベリングされることに対して非常に強い抵抗があるのだなあと思う。そこに不安はないので別にいいのだが、どうして私はラベリングを嫌うようになったのかはすこし不思議なところである。性別二元論を採用していない点については『タイで育った(母の友人がオネエだったので私の中にはオネエという性別が幼少期から存在している)』のが理由だと思っているが、性別が二元論ではないことがラベル嫌いにつながっているのか、はたまた他の理由があったのか。いつか『こういう理由かも!?』ということが思いついたら面白いなあと思う。