正しくあるというのは、思ってるよりも難しいなあと思う。いや、正しさが曖昧だから難しいのかもしれない。
プロダクト開発においての正しさとは、私にとっては『ユーザーへの提供価値』と『保守性』である。ただ事業としてはどうしても『収益性』というのは指標のひとつになってしまうし、ケースによっては『スピード』も正しさとなる。
1番難しいのが『過去から積み上げられてきた色々な事情による成果物』だ。開発者をやっていると時々、どうしてこのような設計になっているのか、よくわからないものがある。大抵、歴が1番長い人に声をかけると『こういう歴史があってな……』という話が聞ける。それ自体の変更が難しいケースもあれば、変更をすること自体が難しいことにされているケースもある。変更をすること自体が難しいケースもプロダクトがお金を扱うものだったりする場合は仕方ないかなという気はする。
では、過去から積み上げてきたものがなければ難しくないのかというと、そうでもない。プロダクト開発では複数の会社が関わることがある。二次受け、三次受けとなった時に、何か違和感を感じても、違和感レベルでは上に何かを言うのは結構難しいことが多い。違和感を感じながら、設計書通りに作っている時、私は私が正しいものを作っているのかわからなくなる時がある。
プロダクト開発では結構ありがちだと思うのだが『要望書』がそのまま『仕様書』になってしまい『設計書』となってしまうことがある。要望書のまま作ることは不可能ではないのだが、それが長く稼働するシステムとして望ましい設計であるかどうかは、設計者が入っていないので、いまいちなことがある。でも、たかが現場で手を動かす人間が、そんなことに口を出すのも……と思ってしまうのが、二次受け、三次受けなのだ。悲しきかな。
最終的には自分ひとりで自分のプロダクトを作るのが1番自分にとって『正しい』になるのだろうな、と思う。
しずかなインターネットも『作者さんの正しい』の具現化なのかもしれない。そういう意味では私がここまで話した『正しい』というのは『自分にとって大事だと思うもの』という言葉が正確かもしれない。自分にとって大事だと思うものを大事にする。シンプルなことなのだが、意外と難しい。
でも私がずっと根深く持っている自己否定感は、自分にとって大事なものを大事にできていないことに起因する可能性がありそうに思う。もっと、自分にとって大事なものを大事にして生きていきたいなと思う。
とりあえず今日も、理想の部屋に向けてちょっと部屋を片付けるなどする。あと6週間で1年が終わるらしい。あっという間だなあ。