ネガティブなことを言葉にするということ

まなさす
·

最近カウンセリングに行きはじめた。少しは生きやすくなるのかな、と思って。

今まで、ネガティブなことはあまり言葉にしないようにしていた。言葉にしてしまうと、言霊になってしまうと思っていたから。

でもカウンセリング中はそうもいかないので、ネガティブに感じたことはネガティブなまま言葉にしている。普段はできるだけネガティブ感情は言葉を濁すようにしているので、普段ほとんど使わないような言葉も使う。

その時間を通して思うのは、『ネガティブなことを言葉にしない』というのは、あまり良いことではなかったかもしれない、ということ。確かに、人と接するにあたって、ネガティブな言葉ばかり言わないのは、良いことだったと思う。でも、『嫌だと感じたことを明瞭にしない』のは良くなかった。カウンセリングを通して『もやもやしてたけど、思ったよりも嫌じゃなかったかも?』と思うこともあれば『あんまり深く考えないようにしてたけど、あの経験すごく嫌だった!』と思うこともある。

何が好きか、は私にとって明瞭だ。映画も本も、『好き』なことならいくらでも語れる。

どんな体験が嫌か、は私にとって不明瞭だ。嫌だと感じたことが嫌、としか言えない。深く考えたことがないから。

私はもっと自分の『嫌だと思うこと』に向き合った方がよかったんだと思う。だから人は日記を書くのかもしれない。自分の感情の整理として。

ただ、私の場合、嫌なことを日記として残してしまうのは嫌なので、コピー用紙に書いて、分析したらシュレッダー、くらいがいいのかも。1度、嫌なことを文字にしたら、呪いをやっているような気がして、すごく嫌な気分になったので、やめたのだった。だから、紙ではない方がいいのかもしれない。何かしら『即時で完全削除できるメモサービス』あたりに書くのがいいのかもしれない。Windowsのメモ帳でいい気がしてきた。

ネガティブなことは良くないこと、そう思っていた。だけどそれは『ネガティブをまき散らさない方が良い』ということで、『自分が感じたネガティブ感情に蓋をした方が良い』というものではなかった。私は後者までやっていて、自分の中のもやもやが『もやもや』のままになっていたので、上手く説明できないもやもやが肩にのしかかっていたんだと思う。

だからすこしだけ、向き合ってみようと思う。前を向くために、下を向く。