うぶなこころで

manatsu
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 編み物の大家と呼ばれるようになって数年経つ。

 私がまだ若かったころ、恋人のために寸暇を惜しんで仕上げた三色のセーターが、手芸教室を開いていた彼の母親の目に留まり、あれよあれよという間に手芸の道へ進んだ。彼はその後、別の人と結婚してしまったが、先生が亡くなるまで、家族ぐるみのお付き合いを続けていた。人生は毛糸のようだ。先生の存在は、私の中で糸を巻くように次第に大きくなっていき、彼との関係は、糸がほつれるように次第に離れていった。

 さて、そんな私も、もういい年だ。手芸一筋で恋人とも長続きせず、いつしかひとりでこの屋敷で暮らすのが当たり前になってしまった。得意のセーター作りの稼ぎで建てたこの屋敷は、いつの間にか周囲から「ニット御殿」と呼ばれていた。はじめて聞いた時には、笑ってしまった。

 世の中は大量生産の品であふれるようになり、セーターもファストファッションの店で安価で購入できるようになった。もはやセーターなんて呼び名も古臭いと言われるくらいだ。編み物自体は趣味のものとして生き残ったが、生活に根付いたものではなくなった。

 そういえば、彼の息子はもう私たちが出会った頃の年齢だ。

 新しい世代は手作りのセーターをもらったところで喜ばない。「重い」などと言って煙たがられるだけだ。

 周囲の年齢も、時代も、ずいぶんと変わってしまった。

 私だけがあの頃のまま。

  編みあがらないセーターのような、私の暮らし。

 どうせ先に進めぬのなら、初心な乙女だったころの気持ちにかえって、もう一度、セーターを編んでみようか。今度は自分のために。思えばここしばらくは教本のための執筆ばかりで、実際に手を動かすことも減っていた。初心忘るべからず。

 私は久しぶりに再会した毛糸たちを見つめて、少女の頃のようなときめきを感じていた。

 

[お題] セーター、屋敷、初心(ランダム三単語で一文)

@manatsu
文章の練習をしています