病の床についてしばらくぶり。
もうそろそろお迎えが来てもいい頃かもしれないと考え始めた。親不孝者かもしれないが、人生を好きに生きてきて、後悔はない。
社会に認められるレールの上では生きず、ただ自分のやりたい通り、旅をして、絵を描き、人々と出会い、恋をして、そして今、一人で死んでいく。
絵とともにあった人生。ただ最高の一枚を描くためだけに生きてきた。絵はありがたいことに人々にウケ、売れてきたが、描きたいものはそれらのもっと先にあった。ひたすらに、生き急ぐように描き続け、寝食を惜しんで活動をした結果、体を壊した。しかしそれもまた、最高の一枚を描くための些末な犠牲にすぎないと考えた。
戦国武将たちが辞世の句を詠んだことを真似て、最後に一枚、絵を遺しておこうと考えた。最後にして、最高の一枚。病をおしてでも描いた一枚は、入院前日にぎりぎり仕上がった。アトリエにその一枚を遺し、死ぬ準備に取り掛かった。もう、思い残すこともないだろう。
そろそろ峠に差し掛かったらしい。病室が騒がしくなる。ベッドのまわりに集まる人の気配。ああ、最後の時が来たのだなと他人事のように感じる。心残りは、ない。だからこそ、生きたいとあがくこともなく、ただ、その時を待つ。
さて、死後の世界とはどんなものだろうか。あの世でも絵を描くことができるだろか。そんなことをぼんやりと考えながら、時期を待つ。死ぬ前には人生が走馬灯のようにめぐると聞いたが、確かに、今まで生きて見てきたものたちが、目の前を通り過ぎていく。
あの最後の一枚が、蜃気楼のように現れる。無意識に、右手が筆を握るように動く。気づいてしまった。ああ、あの絵は、未完成だった。ひとはけ。あとひとはけでいいのだ。色がたったひとつだけ足りない。
何かを勘違いした看護師が、そっと手を握る。離してくれ。違うんだ。あと一筆。たった一色。たったひとつでいいのだ。頼む、絵具を持ってきてくれ。
ピッ ピッ ピッ ピッ
心電図の音が耳障りだ。
ピッ ピッ ピッ
「……いろ、……」
「杉崎さん、聞こえますか? 杉崎さーん」
「ろ……」
ピッ ピッ
「がんばってください、杉崎さーん」
ピ
「……黄色」
ピー…………
[お題]心残り、蜃気楼、黄色(ランダム三単語で一文)